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晩秋の京都 小野小町ゆかりのお寺 随心院
晩秋の京都を訪れた時の日記、第四弾は、小野小町ゆかりの門跡寺院 真言宗 随心院。 絶世の美女として知... 晩秋の京都を訪れた時の日記、第四弾は、小野小町ゆかりの門跡寺院 真言宗 随心院。 絶世の美女として知られており、美人の代名詞ともいえる小野小町。随心院の住所は「小野御霊町(おのごりょうちょう)」で小野氏の一族が栄えたところ。随心院は小野小町が晩年を過ごした地とされている。ただ六歌仙・三十六歌仙に名を連ねた小野小町は、歌の才能とその美貌で知られているが、不明なことが多く生没年不詳。だから、生誕地についても晩年についてもいろいろな説がある。 これは小野小町の歌碑。百人一首の9番の歌「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」。花が色あせていくのと同じく自分も年老いていく姿を嘆き歌ったものとされる歌。競技かるただと、上の句の「はなのいろは」で、下の句「わがみよにふる」を探す、子供の頃は正月にやったけど、いまではもうまったくやらない。 小町堂(納骨堂)。小野小町の姿が見え