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「親のせいにすること」の構造的欺瞞 | こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか
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「親のせいにすること」の構造的欺瞞 | こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか
発達障害の原因を母親の育て方に求める考え方は、科学的にいかに荒唐無稽でも、構造的に無敵である。 自... 発達障害の原因を母親の育て方に求める考え方は、科学的にいかに荒唐無稽でも、構造的に無敵である。 自分の言うとおりにテレビを消してひたすら「言葉掛け」をした家の子に言葉が増えたら自説の正しさが補強される。しかし言葉が増えなくとも、それは親御さんの努力不足のためであって、自説の正しさは些かも揺るがない。努力不足だとどうして分かるか、それは努力すれば増えるはずの子どもの言葉が増えないからである。 どう転んでも彼の説が否定されることはない。だから臨床では破綻がない。いつまでも生き残れる。生き残っているということが彼の説に信憑性を増すかにも見える。生き延びるのみならず偉くもなるかもしれない。 しかしこの破綻の無さは彼の説が科学的に正しいことの証左にはならない。言説の内容がどんな内容であれ、この構造をとらせれば破綻することはないからである。 例えば「海辺で念じれば鯨を目撃できる」という論(たったいま私