エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
天皇はなぜ生き残ったか / 本郷和人 - 誰が得するんだよこの書評
天皇には「祭祀の王」「当為の王」「実情の王」といったさまざまな王たる性質があったがそうした要素は... 天皇には「祭祀の王」「当為の王」「実情の王」といったさまざまな王たる性質があったがそうした要素は時代の流れにしたがって剥がれ落ちていき、最後まで残ったのが「文化の王」という要素だという。ただ、やや枝葉の議論になるが、鎌倉時代以降、幕府が「当為の王」として法による支配を実現した理由を、もともと「当為の王」であった朝廷に蓄積した知識から学習したという説明には疑問が残る。ぽっと出の武力組織が一丁前に統治をしようとするのならば「当為の王」としてふるまうことは、むしろ当然の要請だ。まさか圧政をしく暴君となるわけにもいくまい。 本郷は幕府が「当為の王」であったときに、朝廷が「実情の王」であった理由を次のように説明する。 それにしても同じ時代の統治機構が、なぜ異なるタイプの裁定を下したか。それは強制力の相違だと考える。幕府には、豊かな軍事力があった。だが朝廷は、伝統を失い、軍事力を保有できなくなった。(
2010/06/27 リンク