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「恥辱」と法、ヌスバウムによるJ・S・ミル論(読書メモ:『感情と法』③) - 道徳的動物日記
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「恥辱」と法、ヌスバウムによるJ・S・ミル論(読書メモ:『感情と法』③) - 道徳的動物日記
感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム 作者:マーサ ヌスバウム 慶應義塾大学出版会 Amazon da... 感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム 作者:マーサ ヌスバウム 慶應義塾大学出版会 Amazon davitrice.hatenadiary.jp davitrice.hatenadiary.jp 前回からだいぶ間が空いたが、「恥辱感」をテーマにした4〜6章とジョン・スチュアート・ミルの自由論やジョン・ロールズの政治的リベラリズム論について再考する最終章もなんとか読み終えられたので、メモっておく*1。 ……とはいえ、「恥辱」に関するヌスバウムの議論にも「嫌悪感」についての彼女の議論にあったのと同様の問題を感じてしまったし、だんだんと飽きてきて読み進めるのが面倒になっちゃった。 これまでにも書いてきた、わたしがヌスバウムの「感情」論に対して感じる疑問は以下の通り。 生理的な「感じ(感覚経験)」に関して論じることは早々に切り捨てて、「思考」に関連するものとして「感情」を定義している。