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車両が川面すれすれ? 江戸川区にあった「専用橋」をゴトゴトと走る57年前の都電 | AERA dot. (アエラドット) | AERA dot. (アエラドット)
車両が川面すれすれ? 江戸川区にあった「専用橋」をゴトゴトと走る57年前の都電 路面電車がみつめた50... 車両が川面すれすれ? 江戸川区にあった「専用橋」をゴトゴトと走る57年前の都電 路面電車がみつめた50年前のTOKYO 流線形時代に生まれた1200型の車体を延伸改造したのが1500型で、乗車定員が64名から96名に増加した。錦糸堀車庫に全車46両が配置され、25・29・38系統で1971年まで使用された。浅間前(撮影/諸河久:1964年6月21日) 戦火に消えた幻の小松川車庫 浅間前から西荒川に向かう都電で旧中川を渡ると、行政区画が江東から江戸川に変わる。下り坂を左に緩くカーブして1952年まで新町と呼称された小松川三丁目停留所に到着する。周囲は工場地帯の真っただ中で、写真のように都電の踏切に相対する停留所が設置され、多くの乗客で賑わった。 小松川三丁目から小松川四丁目(旧称小松川)の間には城東電軌から引継いだ小松川車庫があり、1942年に東京市編入後は城東車庫となった。この城東車庫は1
2022/01/29 リンク