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越後粟島、環海の悲喜 ―「大正十六年」を迎えた人々― - 書痴の廻廊
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越後粟島、環海の悲喜 ―「大正十六年」を迎えた人々― - 書痴の廻廊
1927年1月1日。 たった七日の昭和元年が幕を閉じ、昭和二年が始まった。 が、越後粟島の住民はすべてを... 1927年1月1日。 たった七日の昭和元年が幕を閉じ、昭和二年が始まった。 が、越後粟島の住民はすべてを知らない。 (笹川流れから粟島を望む) 定期航路の敷かれている岩船港から、沖へおよそ35㎞。またの名を粟生(あお)島、櫛島とも呼びならわされるこの環海の孤島には、医者もおらねば駐在所もない。 明治、否、江戸時代がほとんどそのまま続いているといってよく、情報伝達速度というのもそれに従いまことに緩やか至極であって。 結果、去る十二月二十五日に先帝陛下が崩御なされた現実も。 新帝践祚も、それに合わせて「昭和」と改号が成されたことも。 もろもろ一切、知ることはなく、従って喪に服すなど思いもよらず――島民たちはさても暢気に、太平楽に、「大正十六年」の元旦祝いをやっていた。 「つんぼ桟敷に置かれる」という表現を、これほど体した例も少ない。 いざ真実に浴した際には、さぞや色をなくしただろう。 (粟島沿