魏(ぎ)(220年~265年)の司馬懿(しばい)は蜀(しょく)(221年~263年)の北伐(ほくばつ)を防ぎ、遼東(りょうとう)の公孫氏(こうそんし)を滅ぼすなどの功績を挙げていきました。しかし魏の景初(けいしょ)2年(238年)に魏の第2代皇帝である曹叡(そうえい)が亡くなって、息子の曹芳(そうほう )が後を継ぎます。曹芳は幼かったので、司馬懿と曹真(そうしん )の息子である曹爽(そうそう)が後見役(こうけんやく)に選ばれました。 正始10年(249年)に司馬懿はクーデターを起こして曹爽一派を排除。政治権力を握ります。これ以降、魏の政治は司馬一族のものになりました。 ところで司馬懿に排斥された曹爽一派にはどのような人物がいたのでしょうか?そこで今回は曹爽を支えていた仲間の1人である何晏(かあん)について紹介します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライ