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高等学校古文/散文・説話/漁父辞 - Wikibooks
屈原既放、游於江潭、行吟沢畔。顔色憔悴、形容枯槁。漁父見而問之曰、「子非三閭大夫与。何故至於斯。... 屈原既放、游於江潭、行吟沢畔。顔色憔悴、形容枯槁。漁父見而問之曰、「子非三閭大夫与。何故至於斯。」屈原曰、「挙世皆濁、我独清。衆人皆酔、我独醒。是以見放。」 漁父曰、「聖人不凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」 屈原曰、「吾聞之、『新沐者必弾冠、新浴者必振衣。』安能以身之察察、受物之汶汶者乎。寧赴湘流、葬於江魚之腹中、安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎。」 漁父莞爾而笑、鼓枻而去。乃歌曰、 滄浪之水清兮 可以濯吾纓 滄浪之水濁兮 可以濯吾足 遂去、不復与言。 屈原(くつげん)[※ 1]既(すで)に放(はな)たれて、江潭(こうたん)[※ 2]に游(あそ)び、行(ゆくゆ)く沢畔(たくはん)[※ 3]に吟(ぎん)ず。顔色(がんしょく)憔悴(しょうすい)し、形容枯槁(ここう)せり。漁父(ぎょほ)[※ 4]見(み)て之(
2017/11/23 リンク