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李舜臣 - Wikipedia
李 舜臣(り しゅんしん、イ・スンシン、이순신(南)/리순신(北)[1]、1545年4月28日〈明暦:嘉靖24年3月8... 李 舜臣(り しゅんしん、イ・スンシン、이순신(南)/리순신(北)[1]、1545年4月28日〈明暦:嘉靖24年3月8日〉- 1598年12月16日〈明暦:万暦26年11月19日〉[2])は、李氏朝鮮の将軍。字は汝諧(じょかい、ヨヘ、여해)。文禄・慶長の役において朝鮮水軍を率いて日本軍と戦い活躍し、韓国では「救国の英雄」とされている。朝鮮内の党争[注釈 1]の影響で李の対立側である元均らの勢力によって、懲罰を受けて兵卒に落とされ一時失脚していたが、軍を率いていた元均が戦死したことで危機感を覚えた朝鮮王によって復権して日本軍と戦ったが、露梁海戦で敗死した[3]。死後に贈られた諡は忠武公(충무공)。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 本貫は徳水李氏。京畿道開豊郡の出身で、漢陽(別名:漢城、現:ソウル特別市)の乾川洞(現:中区乙支路)に生まれた。父は李貞。4人兄弟の三男で、兄弟の名前は上から順に羲