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天正5年12月5日下村玄蕃助宛羽柴秀吉書状の上月城戦況報告について(後) - 日本中近世史史料講読で可をとろう
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天正5年12月5日下村玄蕃助宛羽柴秀吉書状の上月城戦況報告について(後) - 日本中近世史史料講読で可をとろう
(承前) 6.文書の解釈 ようやく下拵えを済ませて文書の解釈に入る準備ができた。「全体像を理解する」... (承前) 6.文書の解釈 ようやく下拵えを済ませて文書の解釈に入る準備ができた。「全体像を理解する」ことを初回に強調したが、ここでは上月城の部分のみ採り挙げ、他の一つ書きについてはその要約のみ示す。それでも全体像を把握しうることは以下述べる過程で明らかになるはずである。ところで『豊臣秀吉文書集八補遺・年未詳』に5888号*1としてやはり12月5日付小川五右衛門尉宛のほぼ同文の文書が掲載されている。大阪城天守閣所蔵文書で、伝存状況が不明なところがありかつ小川五右衛門尉が何者か明らかでない憾みは残るものの、比較しつつ議論を進めていきたい。 天正5年、長浜の商人下村玄蕃助は播磨の秀吉のもとへ陣中見舞いの使者を送った。その返礼が本文書である。この時の使者が誰か、冒頭の書き出しにヒントがある。通常手紙の冒頭部には追伸にあたる「猶〻書き」が記されるのがふつうだが、この文書の冒頭部分は書き出しらしい。「

