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天正6年書写山円教寺における豊臣軍の所業 - 日本中近世史史料講読で可をとろう
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天正6年書写山円教寺における豊臣軍の所業 - 日本中近世史史料講読で可をとろう
前回まで秀吉が上月落城後、非戦闘員である子どもを串刺し、女性を磔にして備前、美作、播磨の国境に並... 前回まで秀吉が上月落城後、非戦闘員である子どもを串刺し、女性を磔にして備前、美作、播磨の国境に並べ置いたことを明らかにした。ついでと言ってはなんだが駐留した書写山円教寺で秀吉軍がいかなる振る舞いをしたかを述べておく。これは国際人道法という「あるべき国際秩序」に鑑みたとき、秀吉軍の振る舞いは極めて参考にすべき現代的な問題と考えるからである また中世後期の軍隊が統率のとれない掠奪や強盗をはたらく集団だったこともすでに定説となって久しいが、ここで再確認しておくこともまた意味があるだろう。こちらも戦時暴力という極めて今日的な問題に繋がる。 1.大坂夏の陣屏風図に見える戦時暴力 ここでは「戦時暴力」を戦闘以外に向けられる暴力全体の呼称とする。民間人への攻撃や掠奪、強姦、人身売買目的での強制連行その他を含む。もちろん軍隊内における鉄拳制裁や自決命令、戦場でのトラウマから家族に暴力を振るってしまうケース

