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おみそ汁
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武田鉄矢の大暴言で“金八失格”!問題ありすぎな「皆勤賞は体が丈夫で頭の悪い子が取れる賞」発言|日刊サイゾー [学校] [教育] “皆勤賞なんてのは、身体が丈夫で頭の悪い子が唯一取れる”この科白、親からも小5のときの担任からも、私は浴びた。思春期にてんかんを発症して、総合病院への定期通院が必要となったとき、皆勤はストップ。 2020/11/07 00:49 この放送について、Twitterなどでいろいろなコメントを見た。コメントを見ていて、「私と違う意見が多い」と思った。 私は、幼稚園から高1まで皆勤を続けた。ブックマークコメントで書いたように、高2でストップした。 ストップしたとき、「お前みたいな奴でも取れる賞は皆勤賞だけなのに。これで取れなくなった。もう何も賞は取れない。」と親から言われた。 小5のときの担任からも、「どうせなら、皆勤賞は出来のよい子が取ればいいのに。お前が休んだほうが、
#私の一人暮らし Sponsored by CHINTAI このお題でも、「お若い人には通じないと思われワード」がいろいろと浮かんでしまう。 私が初めて一人暮らしをしたのは1983年。実家から遠く離れた大学へ進学したことがきっかけだった。 「賄い付き下宿」って今はどのくらいあるのだろう? とか「『合法的家出としての、実家から離れた地域への大学進学』なんて今では難しくなっているようだな」とか、最初に頭に浮かんだ。 私は、親から信用されていない子供だった(今でもそうだが)。大学入学手続も、親は私にさせてくれなかった。親がしゃしゃり出て、大学まで行って手続きをした。そのときに、親が勝手に下宿を決めてきた。 親は最初、賄い付き下宿にする気マンマンだったらしい。「どうせおまえは、料理なんてできないだろう。」と言っていた。しかし、私の姉が猛反対をした。 「賄いつき下宿の中には、『ごはんのおかずがうどん
はてなブックマーク - News Up 「人に迷惑かけていい」40年前のドラマにいま、共感 | NHKニュース [障害] [人権] この記事と搭乗拒否事件とのブコメ反応に温度差を感じる。この記事では「私的な人間関係の中で『優しさ/ふれあい』によって問題解決」重視、搭乗拒否事件では「各種機関の責務や制度も要再検討」と障害者側が主張故? 2017/08/01 01:43 はてなブックマーク - News Up 「人に迷惑かけていい」40年前のドラマにいま、共感 | NHKニュース 山田 太一さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス [障害] 障害者の声を聞き取った者が、どんな立ち位置にいるかが不問にされているケース多し。「声」は、聞き手が本人に期待する事柄によって、不採用のリスク有。その辛さを無視した「迷惑かけていい」なら脅威ともなりうる 2017/07/28 00:41 前々回と前回の記事
はてなブックマーク - News Up 「人に迷惑かけていい」40年前のドラマにいま、共感 | NHKニュース [障害] [人権] この記事と搭乗拒否事件とのブコメ反応に温度差を感じる。この記事では「私的な人間関係の中で『優しさ/ふれあい』によって問題解決」重視、搭乗拒否事件では「各種機関の責務や制度も要再検討」と障害者側が主張故? 2017/08/01 01:43 はてなブックマーク - News Up 「人に迷惑かけていい」40年前のドラマにいま、共感 | NHKニュース 山田 太一さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス [障害] 障害者の声を聞き取った者が、どんな立ち位置にいるかが不問にされているケース多し。「声」は、聞き手が本人に期待する事柄によって、不採用のリスク有。その辛さを無視した「迷惑かけていい」なら脅威ともなりうる 2017/07/28 00:41 「(自称)支援者や
はてなブックマーク - News Up 「人に迷惑かけていい」40年前のドラマにいま、共感 | NHKニュース [障害] [人権] この記事と搭乗拒否事件とのブコメ反応に温度差を感じる。この記事では「私的な人間関係の中で『優しさ/ふれあい』によって問題解決」重視、搭乗拒否事件では「各種機関の責務や制度も要再検討」と障害者側が主張故? 2017/08/01 01:43 www3.nhk.or.jp 山田 太一さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス [障害] 障害者の声を聞き取った者が、どんな立ち位置にいるかが不問にされているケース多し。「声」は、聞き手が本人に期待する事柄によって、不採用のリスク有。その辛さを無視した「迷惑かけていい」なら脅威ともなりうる 2017/07/28 00:41 好意的なブックマークコメントが結構ある。しかし、私は釈然としない思いを持っている。 釈然としない思い
NHK:「障害者を感動話に」方程式批判 - 毎日新聞 [障害] [社会] 「自分の幸せが改めてわかる」という理由に吃驚。「『非障害者の自分』と対比→自分と異なるカテゴライズ→幸運/感謝を隠れ蓑に同情/優越感を持つ」自分を見つめた上でのその回答なら、関係性改善の模索に繋がるかも 2016/08/30 01:23 この記事で私が最も驚いたのは、次の箇所である。 「障害者の感動的な番組をどう思うか?」と健常者と障害者100人ずつに聞いた調査では、「好き」は健常者が45人に対し、障害者は10人。健常者の好きの理由は「勇気がもらえる」「自分の幸せが改めて分かる」など、障害者は「取り上げてもらえるなら、感動話でも仕方ない」だった。 好きな理由を見て驚いた。「これはひどい」という意味ではない驚きも含まれている。 「勇気をもらえる」「自分の幸せが改めて分かる」「取り上げてもらえるなら、感動話でも仕方ない」
東京新聞:学力テストで一部生徒の答案除外 沖縄の中学「平均点下がる」:社会(TOKYO Web) [教育] [学校] この中学校関係者を庇うわけではないが、実は、映画『みんなの学校』でも似たようなことがなされている。何故かこの映画は批判されない。「批判されるのならまだマシ」と、「平均点を下げてきた」私は思う 2016/08/24 14:18 文部科学省の発表によれば、全国学力テスト(全国学力・学習状況調査、全国共通学力調査)の目的は「児童生徒の学力の状況を把握」ということである。 統合教育(注 インクルーシブ教育という言葉を私は使いたくない。いわゆる「投げ込み統合」問題について真剣に考えられているとは思えないからだ。)崇拝者が絶賛する映画『みんなの学校』でも、このテストに関するシーンがあった。「文部科学省の発表とは違った目的で、このテストが使われているぞ」としか思えない描写だった。 去年の
今回は、「障害者権利条約や合理的配慮に関する解釈」へのウヤムヤ状態について書く。 合理的配慮とはどんなことなのか? おそらく、人によって思い浮かべる内容はバラバラな状態にあると思う。 統合教育崇拝者が思い浮かべる「合理的配慮」像は、各種メディアや世間一般にも大きな影響を与えうる。この「合理的配慮」像が、宣伝文句的に都合よく使われているのでは? と私には思える。厳しい言い方をすると、「温情主義を合理的配慮と言いくるめている」「温情主義が、非障害者には『特別扱い』に見えているケース多し」状態なのでは? と私には思える。 それだけではない。ここでいう「障害」が「発達障害」である場合、話は更に複雑になる。発達障害業界関係者が思い浮かべる「合理的配慮」像も関係してくるからだ。 統合教育崇拝者が、「発達障害なんてレッテル貼り。単なる個性に過ぎないものを障害などと言って、図々しい要求をする人たち。」とい
「授業についていけることなんかよりも、もっと大切なことがあるのよ。あくせくしなくてもいいじゃないの。そんなことよりも、みんなと一緒にいることが大切よ。人間関係を学ぶことのほうがずっと大切よ。」 「あくせくして実力を付けようとするなんて、優生思想的。」 「学校で子供たちが優しさや思いやりを育んで、障害児に共感できるようになる。そのとき、障害児もクラスのみんなや身近な大人を仲間や理解者として受け止め、成長する。」 「特別支援教育では学力軽視だといわれる。しかし、発達障害児には、じっくりと人間関係を学ばせることのほうがずっと必要。学力は二の次。」 「学校は、子供のためにあるもの。学校教育は、子供のためにおとながやってあげること。」 これらの美しい言葉が、「学校文化やそれとつながった一般社会を支える、価値観」について無視した状態で語られている。無視した状態で語られた美しい言葉には、「とんでもない暴
ブログをみんなで楽しもう 今週のお題「運動会とスポーツの秋」 1971年、私は地域の公立小学校に入学した。その小学校には、(その当時は)いろいろな謎ルールが存在した。大学入学後、他地域出身の人複数から、「ワケのわからないルールの多い学校だなあ」と言われまくった。 運動会にも、謎ルールがいくつかあった。今週のお題を見て、その謎ルールとそれに関するくだらないことが頭に浮かんでしまった。 謎ルールと、それについて頭に浮かんでしまったこと 1.運動会では、『地獄のオルフェ』(別題は『天国と地獄』)という曲を使ってはならない。『地獄のオルフェ』は、『8時だョ!全員集合』というワースト番組(と、当時のPTAが認識していたらしい)で使われている曲だから。 『地獄のオルフェ』に対して、「オペレッタの中の曲」という認識よりも「ドリフターズが出る番組の曲」という認識を優先させるわけだな。 運動会で実際に使われ
今週のお題「方言」 因幡の「から方言」について書く。「因幡」とは、因幡国(現在の鳥取県東部)を意味する。私の両親は、そこの出身である。 この「から方言」は、鳥取県東部を離れて暮らした経験のない人ならば、方言だと意識することはほとんどないだろう。私自身、大学進学で九州に出て初めて、「他の地域出身者が驚く」表現であることを知った。 共通語では、「~から」は、出発点や経過点を表す助詞として使われる。 例 家から会社まで しかし、鳥取県東部の場合は、この用法以外にも「動作の行われる場所や場面を表す助詞」(共通語では「~で」)としても使われる。 例 (共通語なら)「会社で働く」 (因幡の「から方言」なら)「会社から働く」 私が中学生だった頃、国語の授業で1年に1回は、この「から方言」について指導がなされていた。 中2のとき、次のような説明がなされたのを覚えている。 1960年代になされていた「全国学
ニートは働きたくないわけじゃない。ただ、働くことにブレーキがかかっている状態。 - ニート気質な僕の生きる道 [ひきこもり] 「3失敗をしたくない」は重要。本人からその声が時々出されるが、(自称)支援者や家族は関心を向けない。ただ、「失敗をしたくない」より「成功や称賛を求めるよりも、非難や攻撃を避けられたら吉」が近いかも。 2015/11/20 01:52 元記事を読んで、はてなブックマークコメントの次に、私の頭に浮かんだこと ・「『失敗をしたくないという思い』の背景にあるもの」は何なのか? それに対する認識が、ひきこもっている本人と周りの人との間で違ったものになっているのだろうか? それとも、似たものなのだろうか? あるいは、「本人と周りの人との認識は異なっているのだが、どちらかが、もう一方の認識に引っ張られて、似たような認識をしていると錯覚している」状態なのだろうか? ・周りの人の認識
義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入 [障害] [社会] 「不便」の裏には、「期待される障害者像」を一方的に押し付けてくる「健常者中心文化」がないか?観察・分析・解釈される対象となるのは障害者側、する対象となるのは健常者側、という図式になっていないか?疑問有 2015/11/01 02:18 「障害者へのまなざしや扱われ方」「ありうべき共生像」等が、障害関連啓発イベント(特に、統合教育崇拝者が主導するイベント)で語られる 。 (注1「インクルーシブ教育」ではなく、「統合教育」としたのには理由がある。「投げ込み統合」に相当する語句が、インクルーシブ教育を語る場で使われないからである。) (注2 統合教育「崇拝者」と表現したのは、「彼(女)らが、過去にあった投げ込み統合について有耶無耶にしている」と私が認識しているからである。) (注3 「それなら夏炉冬扇は分離教育賛成派なのか?」という
今週のお題「人生に影響を与えた1冊」 私の人生に影響を与えた本は、『不動産取引紛争事例集』である。 これは不動産業界の団体が出版している本で、おそらく、一般の書店では買えないものと思われる。 業界関係者以外のかたが不動産取引の紛争事例について調べる場合は、一般財団法人不動産適正取引推進機構というサイトの、「紛争事例研究」や「不動産トラブル事例データベース」を利用できる。 この本には、業者の違法行為や過失事例がたくさん出ている。 一読して、「業者の悪意が感じられる、違法行為集」という感想を、私は単純には持てなかった。 「ひょっとしたら、業者の従業員には悪事を働く意図はなかったのかもしれない。従業員としては次にあげるような状態だったのかもしれない。」と思ったのだ。 業者にも客にもいろいろな裏事情があり、思惑がある。そして、物事にはなんらかの意味が隠れていることもよくある。 ↓ それらを、従業員
トピック「図書館」について 鎌倉市図書館の「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」というツイート、いろいろと話題になったようだ。私の観測範囲では、肯定的な評価をしている人が多いように見受けられる。 一方、このツイートとは関係なく「フリースクール」についてのツイートを見ると、トーンが違ってくる。 「フリースクールは甘え。」「学校に行かないと社会性が身につかない。」「辛くても我慢する力が身につかない。それだと大人になってから困るのは本人。」という類のツイートも目立つ。 フリースクール支持者の場合も、積極的な肯定意見と言い切れないトーンを私は感じる。「学校が駄目でもフリースクールなら行けるかもよ。」とか「自殺よりはマシ。フリースクールならゆるい場だから行けるだろ。社会性は身につかないだろうけど。」というトーンに思える。 このギャップはいったい何なのだろう? 私はそ
今週のお題特別編「嬉しかった言葉 」 〈春のブログキャンペーン ファイナル〉 私には「ひきこもり」の経験がある。「一念発起してアルバイトに挑戦したが、一週間続くことがない」「アルバイトが駄目っぽいから、ボランティアに挑戦→しかし、うまくいかない」という経験を積み重ねた過去がある。 私が初めて長続きしたアルバイトがある。そのアルバイトを始める直前、学生時代の友人から言われた言葉が、今回書く「嬉しかった言葉」である。 その言葉は、「合わなかったら、やめればいいよ。」だ。 それと似た言葉を、同じ時期に私の親からも言われた。しかし、親から言われたときと友人から言われたときとは、私にとっての感触が全く違っていた。活字にするとほとんど同じになる言葉なのだが。 次にあげる記事とその記事に対するブックマークコメントを読んで、その言葉を思い出したのだ。 拙ブログのひきこもり関連過去記事と重複する部分が多くな
今週のお題「餅」 島根県出雲市のご当地グルメに、「出雲ぜんざい」というものがある。 出雲ぜんざいとはどんなものか? 「地域社会ライフプラン協会」さんによる次の記事で紹介されている。 https://www.lifeplan.or.jp/alps/alps_pdf/alps112/alps112_42.pdf リンク先記事によると、 “縁結びの神社である出雲大社にちなんだ紅白の丸餅や白玉団子入っていることが定義になりつつありますが、蕎麦団子の入ったぜんざいなど、お店により様々なぜんざいを味わうことができます。” とのことである。 鳥取県西部でも、時々デパートなどで見かける。いろいろな店で見かけるカップ入りぜんざいやレトルトパウチぜんざいよりも、高級そうに見える。紅白の餅が入っていると、特に高級そうに見える。 父は甘党である。「出雲ぜんざい、食べたいだろうな」と思う。 だが、今では怖くて買えな
今回は、成人発達障害の「理解・受診」は、実は要警戒ワード 1 - karotousen58のブログの 3. 診断名はどうしても必要なのか? 「診断名が付かなかった人の場合は自業自得」とでもいうことなのか? という疑問。 について書く。 結論から言えば、「受診して発達障害であることをはっきりさせて、社会的認知と専門的援助を求める。」という方針はどこかで行き詰まると思う。 ・「規格外の人だということを、発達障害というカテゴリーとして認める。しかし、非発達障害者にとっての(←ここ重要)正しさや望ましさを、専門家による支援を得て身につけることができないのなら、排除する。→つまり、「カテゴリー内の人ということは認めるが、個人としては認めない。」というスタンスを、本人以外の人がとる方向に進んでしまうのでは? ・「発達障害の診断がついているのか。それならば、これこれこういう行動をとるんだね。その行動を
トピック「読書感想文」について そういえば、去年の今頃だったな。あるブログで、「読者感想文」という言葉を見たのは。 単なるタイプミスだと思うが、この表現のほうが確かにしっくりくる。 日本の公立小中学校で書かされる作文(特に読書感想文)は、いったいどのような意味を持っているのだろう? 作文教育と言いながら、実は、「文章作成」よりも「子供の持つ思想や感情の、調査や操作」が目的だったのでは……と思えて仕方がない。 大学入学後、高校までに受けた作文教育が、レポート作成にほとんど役立たないとわかった。職に就いてから、企画書や報告書等を作成する際にもほとんど役に立たないと思った。 しかし、私が受けた義務教育では、やたらと作文を書かされた。意味のある指導がほとんどなされない状態で。 日本の公立小中学校での国語教育は、「情緒的な文を読み、心情読解ができ、情緒的な文をかけるようにすること」がメインテーマとな
今回は、成人発達障害の「理解・受診」は、実は要警戒ワード 1 - karotousen58のブログの 2. 「成人発達障害者本人・身近な人・職業的支援者・専門家」は、それぞれ異なる利害を抱えていると考えられる。成人発達障害の「理解・受診」について(特に、本人以外の人が)語る際、そのことが軽視されているのでは? について書く。 「ADHDだから」とか言い訳にする奴wwww製薬会社に作られ病気だし、ただの努力不足だろwww 私のブックマークコメント 医療機関受診を勧めるコメントもあるが、地域によっては安易な気持での受診は危険。私の地元では、「過剰診断・成人発達障害者にほとんどフォローなし・障害者手帳保持者への偏見大」の状態になっている。 このはてなブックマークコメントを読んで、 「成人が『自分に発達障害的な面があると思い、そのことで悩んでいる』と打ち明けた場合に、医療機関受診を勧められるケース
例の県議は、発達障害とは違うタイプに思える - karotousen58のブログ で書いた 3.正直なところ、発達障害は、「周囲の人にとって、自分の都合の悪いことをみんな押し込んでしまうゴミ箱のような存在」として利用されるものと認識されてしまったのでは……。「発達障害者がまともなコミュニケーション能力を持たないことに、すべての問題があるのだ」というふうに。このような状態では、「発達障害を知ってもらうことが大切と述べる」とか「受診を勧める」とかいうことの危険性についても考える必要あり。 について、3回に分けて書く。 1. 「発達障害観」も「発達障害関連の受診を求める理由」も「最初の受診から診断名が付くまでの、プロセス」も、15年程前と今とでは、大きく違っている。さらに、「最初の受診から診断名が付くまでの、プロセス」は地域によっても状況が大きく異なる。受診を勧める側と勧められる側のどちらかが、
【号泣県議の政務活動費疑惑】議会内でもトラブル、奇妙な選挙戦、議論をふっかけては謝った前職場…(1/2ページ) - MSN産経west 私のブックマークコメント 「この県議が発達障害では?」という意見も見られるが、私には、真逆に思える。発達障害系には、「祖母の遺影を抱えて会見」「子供が大好きで議員に」とかいった「情に訴える」という発想が苦手な人が多いと思う。 号泣会見で話題の野々村竜太郎県議「理で説得するよりも情に訴求する人間の方が信頼できる」と過去にツイート!? – ガジェット通信 私のブックマークコメント 発達障害者は、「情に訴えた駆け引き」をするのもされるのも苦手なケース多し。この県議は、発達障害者とは違うタイプに思える。 号泣県議、UR住宅を目的外使用か 自宅なのに…政治団体事務所 (産経新聞) - Yahoo!ニュース 私のブックマークコメント 発達障害では?の声に疑問有。ルール
その文章を難しいと判断して、「頭がいいと思われたい人なんだ」と他人の内心を忖度してるのは誰の基準でしょうか - 太陽がまぶしかったから 私のブックマークコメント 「ある人が、わかりやすいと感じた文章」が、他の人にとっては難しく感じられる文章ということもある。発達障害者の中には、「わかりやすいと感じる文章」が多数派と異なっている人もいる。後で拙ブログに書く予定。 発達障害者の中には、「情緒的な文章を、難解に感じる」人がいる。そのような発達障害者が書く文章や発する言葉が、非発達障害者にとっては難解と思われるかもしれない。 そのことで、非発達障害者が戸惑うことがあるかもしれない。 ひょっとしたら、「頭がいいと思われたくて、わざと難しい表現をやっている」と誤解されているかもしれない。 A 風が吹いて、稲穂がお辞儀をしているようだ。 B 風が吹いて、稲の先が穂の重さと重力によって3センチメートルほど
はてなブックマーク - ひきこもりを地域の力に - NHK クローズアップ現代 私のブクマコメント 「集団でうまくやれない個人の、病理が原因。何とか外に出せば解決。」という見解のようだな。集団というものは、ときとして暴力的な性質を持つ。「その暴力性への対処法が見つからないから外に出られない」のかも。 ニート学部から“黒歴史学”“奇業学”が誕生!?「NEET株式会社×ひきこもり大学」の化学反応|「引きこもり」するオトナたち|ダイヤモンド・オンライン 私のブクマコメント 記事中の「自分哲学」が、「黒歴史を自虐的にネタにすることに、抵抗有」の場合はどうなのか?私の場合、黒歴史の意味づけや社会規範や価値規範との距離への折り合いを熟考することが必要だった。 今回は、ひきこもりをめぐる「社会問題化のプロセスと、それに対する対策」についての疑問について書きなぐる。 世間一般の見解(と私が捉えているもの
はてなブックマーク - ひきこもりを地域の力に - NHK クローズアップ現代 私のブックマークコメント 「集団でうまくやれない個人の、病理が原因。何とか外に出せば解決。」という見解のようだな。集団というものは、ときとして暴力的な性質を持つ。「その暴力性への対処法が見つからないから外に出られない」のかも。 ニート学部から“黒歴史学”“奇業学”が誕生!?「NEET株式会社×ひきこもり大学」の化学反応|「引きこもり」するオトナたち|ダイヤモンド・オンライン 私のブックマークコメント 記事中の「自分哲学」が、「黒歴史を自虐的にネタにすることに、抵抗有」の場合はどうなのか?私の場合、黒歴史の意味づけや社会規範や価値規範との距離への折り合いを熟考することが必要だった。 「ひきこもり」のまわりにあるもの 2 - karotousen58のブログで、次のことを書いた。 ・ひきこもっている本人にとっては
正直言って本を読まない人を見下している 私のブクマコメント 高校までは読書嫌いで、大学で好きになった私。高校までは、「本を読まなきゃ心の豊かな人になれない」とか「読んだだけではだめ」とか言われ続けて嫌いになった。大学でそれらを強要しない読書家と仲良くなった。 元記事を読んで、いろいろなことが頭に浮かんだ。「本を読まない人の価値観を知りたい」という記述が特に印象に残った。私は高校卒業までは「本を読まない」人間だった。 元記事では、「本を読まないこと」と「本を読んでも自分の頭で考えないこと」が見下しの対象となっているようだ。高校までの「本を読まない」私は、「本を読むのは苦痛なこと」と「どうせ、私が考えたり感じたりすることなんて、まともなものは何もない。」という思いにとらわれていたのだ。 それらの思いから解放されたのは、大学時代に幸運に恵まれたことにあった。 大学時代に、「本当に読書好きな友人」
クレーン車暴走:母にも賠償責任 宇都宮地裁判決 http://mainichi.jp/select/news/20130424k0000e040211000c.html 私はてんかん患者。 てんかん患者と家族と医師のそれぞれの思惑が、異なっていることは多々ある。そして、家族の思惑は、意外と大きな力を持っているものだ。その「大きな力」は、特に「自動車運転免許取得問題」が絡んできたときに、とても厄介な問題の背景となりうる。 家族の思惑として、「てんかんであることを認めない・認めたくない」というものがある。認めない・認めたくない家族が患者本人に、「車の免許をとれ圧力」をかけるケースが、実は少なからず存在する。 「認めないも何も、実際発作を起こしているんだろう? どうしてそんな思惑が持てるのだ?」と、患者でも患者の家族でもない人は思うかもしれない。 認めない・認めたくない背景として、「心因性非てん
はてなブックマーク―たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない? http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ikedahayato.com/index.php/archives/22924 ブクマコメントを読んで、驚いている。挨拶に関する次のような見解は、正直なところ私には想像のできない見解だ。 ・気持ちが全くこもってなくてもできるコミュニケーション ・繰り返しの努力だけで身につく簡単なスキル 私は、挨拶を「条件反射的に」できない。「ぎこちないけど、挨拶という行為を軽視しているわけではなさそうだ」と他者から解釈されるのならば御の字、という状態である。「無愛想」とか「人を人と思っていない」と解釈されることも多々ある。 私の経験則では、「挨拶を条件反射的にできない」イコール「挨拶ができない極悪人」とみなされるようである。 「挨拶ができているかどうか」を判断する基準は、私
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