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楷書活字(新居)
30年前のことを思い出して書こうと思う。 聚珍社ができたのが91年で、府川充男氏の『組版原論』が出たの... 30年前のことを思い出して書こうと思う。 聚珍社ができたのが91年で、府川充男氏の『組版原論』が出たのが96年だかだから、だいたいそのそのへんの5年間、何をやっていたか。 (本題の前に、DTP以前のこと。飛ばしてかまわない) 校正の仕事を始めたのは、天安門事件のちょっと後だ。僕は31歳。20代はアルバイトで入った会社で正社員になって3年で辞めるというのを2回やって(もうちょっと我慢すれば退職金が貰えるというところで辞めている)、三度目の正直、やっぱり退職金を貰い損ねて次は何をしようかという時にゴールデン街のママの紹介で東京出版サービスセンターという会社でフリー校正者をやることになった。 校正という仕事は、印刷と文字についての知識と、一般常識より少し深くて広い見識を必要とする専門職だ。というのは建前で、日本語が読み書きできれば誰にでもやれる高収入バイトだった。世間ではバブル経済が終わりを迎え
2011/12/02 リンク