エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
不作為の作為 - Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
不作為の作為 - Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ
少々難しい言葉だが、「不作為」=しなこと、「作為」=することだが、法律上の「不作為」は、「明確な... 少々難しい言葉だが、「不作為」=しなこと、「作為」=することだが、法律上の「不作為」は、「明確な意思や悪意を以てしないこと」をいう。だから、ただ何となくやらなかったでは「不作為」とはいわない。それでは、タイトルの不作為の作為の意味は「意識的にやらないこと/する」ということになり、犯罪の構成要件にもなり得る。 ここからが本題、人は何かしていれば事が前に進むと概念的に思っているだけで、「何もしないこと」に堪えらから、あれこれと理由をつけてやろうとすると説くのは、先日ご紹介した医者の逆説を上梓した里見清一医師の弁。 氏は、その書の中で「待っていれば事態は悪い方に向かう」ことが明らかな場合は、「待つ」ということは「手をこまねいて見ていること」に等しいが、さしあたり何かをしなくても出てくる結果が同じであれば、わざわざ「何か」をする必要はないという。 彼は医者の立場から、「待っていれば悪い方に向かう」