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甘党の原点、台湾での幼少期 人気菓子「きのこの山」考案者 | 毎日新聞
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甘党の原点、台湾での幼少期 人気菓子「きのこの山」考案者 | 毎日新聞
講演会でチョコ菓子「きのこの山」の開発秘話を語る新元久さん。手に持っているのは「きのこの山」のパ... 講演会でチョコ菓子「きのこの山」の開発秘話を語る新元久さん。手に持っているのは「きのこの山」のパズルの箱=台北市の台湾文学基地で2023年5月13日、鈴木玲子撮影 味覚は、幼少期にその土台ができるという。新元(にいもと)久さん(91)=東京都世田谷区=は「生来の甘党」を自任する大の甘いもの好き。明治製菓・食料開発研究所(当時)でチョコレートの新商品開発の主席研究員などを務め、あの国民的なロングセラー菓子「きのこの山」を考案した一人だ。そのずば抜けた味覚は、実は台湾ではぐくまれた。 新元家は、日本統治時代(1895~1945年)の台湾で3代にわたって暮らした。祖父・鹿之助は鉄道技術者で、統治開始から間もない1896年に渡台し、台湾の南北を結ぶ縦貫鉄道や森林資源を運ぶ阿里山鉄道の建設を手掛け、鉄道トップの台湾総督府鉄道部長を務めた。台湾生まれの父・八通雄(やつお)は明治製糖でサトウキビ栽培の専