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南の島に現れた日本軍 住民に迫った「一体化」の果てに起きたこと | 毎日新聞
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南の島に現れた日本軍 住民に迫った「一体化」の果てに起きたこと | 毎日新聞
第二次世界大戦の終結から来年で80年。今、沖縄では有事に備えた軍備の増強や避難計画の策定が進む。大... 第二次世界大戦の終結から来年で80年。今、沖縄では有事に備えた軍備の増強や避難計画の策定が進む。大戦末期の沖縄は本土防衛の防波堤とされ、日米両軍による地上戦で住民9万4000人(推計)を含む約20万人が犠牲になった。約80年前、軍が来た島で何が起きたのか。1945年の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月23日の「沖縄慰霊の日」を前に振り返る。 沖縄本島北部の沖に浮かぶ、のどかな島に日本兵が現れたのは1943年のことだった。伊江島で生まれ育った内間亀吉さん(86)は5歳の時に見た光景を鮮明に覚えている。部下2人を従え、馬に乗った軍人が子どもの集まる場に現れ、腰に携えた刀をガチャガチャと鳴らしながら周りを歩いた後、馬に乗って去った。「すごい。かっこいい」。それが第一印象だった。 この年、日本軍は島の中央に飛行場を建設することを決定した。第二次世界大戦の戦況が悪化する中、南方の戦線に