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宮尾明神の河虎(かわこ)の詫び証文【前編】 - ぼくと、むじなと、ラフカディオ。
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宮尾明神の河虎(かわこ)の詫び証文【前編】 - ぼくと、むじなと、ラフカディオ。
江戸時代に書かれた松江松平藩の地誌「雲陽誌」の西川津の項に、こんなことが書かれている。 宮尾明神 ... 江戸時代に書かれた松江松平藩の地誌「雲陽誌」の西川津の項に、こんなことが書かれている。 宮尾明神 大己貴命をまつる、本社五尺四方、拝殿九尺 梁に三間、境内皆山なり、祭禮正月三日九月廿五日、古老傳にいわく昔西川津村を西長田村といひし時、猿猴人民をなやまし人皆難儀のことにおもひ、明神へいのりしに或時猿猴馬を川へ引こまんとしたりしに神力にてやありけん彼馬猿猴を陸へ引上たり、折節俚民出合で猿猴をとらへ神前にて石に證文を書、即社内に納をきて今にあり夫より後此里にて猿猴わさわひをなすことなし、此故にこの宮を世人猿猴の宮といへり、猿猴とは俗にいふかわこの事なり、又かわつは又かわ太郎なんと國々にて名のかわりあり、水中にすみて人に害をなすものなり、 水草川 【風土記】に見たり、川の徑十二間、水程二十町舟の通あり、川上を海崎といふ、持田村より海崎まての枝川あり、坂本福原東川津この村々よりも海崎まても枝川あり、