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唐津くんち 七番曳山 飛龍 - nasubonnobusanのブログ
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おはようございます☀ 朝はこたつないと寒いですが、昼は暑い😵 気温差がやばいですね。。。 さて、今日... おはようございます☀ 朝はこたつないと寒いですが、昼は暑い😵 気温差がやばいですね。。。 さて、今日は 七番曳山 新町 飛龍です。 新町(しんまち) 正保絵図には記載はないですが、大久保時代以降、新しい町として登場する。 所謂、唐津十二カ町に含まれない町で、その結果、惣行司や惣町の事務を処理する月番の役割はできなかったようである。 規模は37軒、176人とされている。 新町は大工職人が多かった町で、白井家、中島家などの幕末期の大工棟梁や御用大工も住んでいた。 かつて、北側角にあった恵比寿像は木村屋こと鶴田屋のもので弘化年中に作られ鶴田定吉の名がある。また、新町南端にあった稲荷神社のもとは[圧崎山観龍院]という彦山山伏(やまぶし)が祀ったものといい、稲荷神社にあった燈篭には鶴田忠吉と共に河添久兵衛の名があり、河添家は刀剣に関係のあった鍛治職とされる。 この町の曳山[七番曳山 飛龍]は弘化3