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東京オリンピック、2回目も渇水の可能性。スキー場の営業休止は水不足のサイン(橋本淳司) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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東京オリンピック、2回目も渇水の可能性。スキー場の営業休止は水不足のサイン(橋本淳司) - エキスパート - Yahoo!ニュース
1964年のオリンピックは「東京砂漠」 昭和39年に開催された東京オリンピック(1回目)。この時、東京... 1964年のオリンピックは「東京砂漠」 昭和39年に開催された東京オリンピック(1回目)。この時、東京は大渇水に襲われていた。都内は砂ぼこりが舞い、メディアは「東京砂漠」と報じた。 渇水の原因は、水使用量が増えたことと、雨不足である。 昭和30年代後半から40年代にかけて東京の水使用量は激増する。 東京都の水道配水量の変遷(東京都水道局の資料を元に著者作成) 上のグラフに示したとおり、1957年に1日約185万立法メートルだった水の配水量は、1972年には約456万立法メートルになっている。高度経済成長にともない首都圏に人口と産業が集中したためだ。 その一方で、1960~1962年の平均降雨量は平年の半分以下。 当時の東京の水源は、主に多摩川の上流域である。奥多摩にある小河内ダムの貯水率は0.5%、村山・山口貯水池は干上がって湖底はひび割れた。 東京都は1961年10月から20%の給水制限