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カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第17講・中国と日本、通貨の戦争 ②」 | 日刊SPA!
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カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第17講・中国と日本、通貨の戦争 ②」 | 日刊SPA!
イギリスとの交渉の決裂 日本は1932年、「満州国」を樹立し、満州から華北(中国北部)地方への進出を狙っ... イギリスとの交渉の決裂 日本は1932年、「満州国」を樹立し、満州から華北(中国北部)地方への進出を狙っていました。日本は傀儡の冀東防共自治政府を樹立し、華北を蒋介石率いる国民党支配から切り離す「北支分離工作」を進めていましたが、国民党政府が通貨統一事業を達成し、中国経済圏を確立すると、次第に分離工作は困難になります。 この間、イギリスは日本に対し、中国の幣制改革で協調するように呼び掛けていました(リース・ロス、広田弘毅、重光葵との会談)。日本が協調するならば、イギリスや中国は「満州国」を承認するという条件を日本に提示していました。しかし、日本は更なる領土拡大の路線に傾斜しており、イギリスの申し出を断りました。 日本がイギリスの経済協調案に乗らなかったことが、日中戦争や太平洋戦争という災禍を招く大きな原因となります。 「戦争によって戦争を賄う」 1937年、盧溝橋事件が勃発し、日中戦争がは