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おみそ汁
nonchi1010.hatenablog.com
ゆうべ相棒ちゃんが焼いてくれた「ムーミンの型に入ったバナナケーキ」、食べるのがかわいそうなような、もったいないような、で、今日の朝ごはんに。 ムーミンの顔がわかる切り方はしたくなかったので、ごくごくスタンダードなバナナケーキのお姿になりました。 これがまた、おいしいじゃないのーー。 完熟バナナの甘みたっぷりで、ぎゅっと詰まった生地の感じもホームメイドならでは。 ひんやりするけど、リビングの窓を開けて、コーヒーをすすりながらゆっくりいただいて、明日が締め切りの仕事を仕上げに静かな病院へ行ってくるとしよう。 土日も働いてるっておかんにバレてはいけないので、今日はおいしいパン屋さんに寄ってお昼ごはんを調達しなくっちゃ!! 日曜日も元気でいられたのは、ムーミンと相棒ちゃんのおかげです。(あ、毎日お弁当作ってくれるおかんはもちろん)ありがとう。
月曜日が締め切りの仕事が終わらなくて、土日出勤になってしまった。ブルーな気分で帰宅したら、相棒ちゃんが晩ごはん作ってくれていた。 オムライスにケチャップで名前まで書いてくれて、とても癒された。 それと、バナナがたくさんあったから、とバナナケーキも焼いてくれた。 かわいいからずっと前に買ったまま、一度も使っていなかったケーキ型。 ムーミン、なんです。 けど、焼き上がって型から抜いたら、、、 うーん、ムーミンだよ、って言われたら、見えなくもないけど(笑)。 もったいなくて、まだ食べてません。 ありがとね、相棒ちゃん。
帰宅しました。 スッキリは、せんけど、でも、僅かでも進展はしたと思う。少なくとも、「お金の話」はできた。 途中、父のあまりの鈍感さに、声を荒げてしまった。終わって振り返れば、正直なところ父は、そのような私の感情の消費さえも、もったいないと思ってしまう程の「イケてなさ」だった。 アホやな、私。 次からはもっとドライにいこう。 父の在り様を変えるなんてことはもちろんだけど、父に自分の過去の行いを省みることを期待しても無理なんだから。 父の施設を出てから弟と飲んだ珈琲は、ちょっと苦かったけど、切り替えには丁度よかった。 これでいいのだ。 さぁ、お風呂に浸かろう。
さぁ、弟と合流して、父のところへめんどくさい話をしに行ってくるとしよう。 思ったより出発が遅くなってしまったけど、弟と珈琲飲みながら事前の打ち合わせをするぐらいの時間はある。 昨日は結局、最後に相棒ちゃんを誘って中華料理を食べに行った。そのあと、無印良品で色違いのペンケースを買って、おやつも買って、家でふたりでコナンの映画をNetflixで観て、いつもどおりわたしが途中で居眠りし出して(笑)、一足お先にお布団へ。 ってな具合で迎えた今日。 それと、白髪だらけで最近の私の憂鬱をさらに膨らませていた元凶の髪を、木曜日の仕事帰りにバッサリ切って、スカッと明るくしておいた。 だから、あたまもこころも、まるく、あかるく、やれると思うのであります!! じゃ、行ってきます。
貴重な貴重な平日のお休みをとり、ことあと弁護士さんの事務所を訪ねる。 ブログに最近あまり登場していない、父のことで、もう、いよいよ、最終的なことまでわたしが主導するしかないな、と決断した。 つれあいさんの認知症はますますヘビーになってきていて、自分の人生の大事な意思決定は難しくなっている。おそらく、それがよくなることは、ない。 父本人も、健康なじーちゃん、というには程遠い。もともと厄介なことは後回し、人任せにしてきた人物なので、直近の約一年をかけて、破綻した老夫婦のマンション暮らしから有料老人ホームへの入所に、ヘトヘトになりながら誘導して、「ここまでやれば、あとは少しぐらい自力でやってちょうだい」と少し距離をおいていたのだけど、結局なにも進まない。だけでなく、つれあいさんの状況も含め、時間だけが虚しく過ぎている。 正直、養育責任を何ら果たしてもらっていない父と、その父が全力で依存しまくって
昨日、ある席で、別の医療機関でリーダーをしているナースに久しぶりに会った。たまたま隣に座った。 「久しぶりー!!」と小さな声と小さなジェスチャーで喜び合って、でも会議の後はお互いまっしぐらで仕事に行かなければならなくて、あっという間に別れてしまった。 そしたら、ゆうべ、彼女からメールが届いた。 久しぶりに顔を見られてうれしかったのに話す時間がなくて残念だったこと。そして、今とても大変な状況に見舞われてリーダーとして途方に暮れていること。あなたも同じような経験をしたと以前会議で少し聞いたことがあって、それを思い出した。あなたはそれをどうやって乗り越えたのか、聞かせて欲しい、ということが書かれていた。 これはメールで文字にして送るより、まずは彼女の話を聴く方が先決だと感じた。 で、「顔を見て話そう」とお誘いのメールをしたらとても喜んで返事がきて、明日、お互いの真ん中ぐらいの場所で待ち合わせてお
静かなデスクで締切ギリギリの広報誌の特集記事を書くために休日出勤。 今朝、おかんの団地の桜が一部咲き始めているのを見て、「おぉ〜、春が来たねぇ」とほくほくしていたのに、午後から空が一気に曇って、帰りは何と雪が降った。 どないなってんのよ。 カチカチにかじかんだ手で鍵を開けて家に入ったら、最近我が家のブームとなっているキンパ(韓国海苔巻き)の香ばしい香りがたちこめていて、幸せな気持ちに包まれた。 ありがとねー、相棒ちゃん、いや、相棒様様。 もうハタチの娘にお小遣いあげたくなった(笑)。
この前の日曜日、人と会う約束の前に、ずっと行きたかった西陣織の「手織り」の現場を見学して、織り手のお話をお聴きする機会を得た。 一番皆さんとシェアしたかった「手織りの現場」と織り手の方の撮影は残念ながらNGだったけど、織り手さん(何とお呼びするのがよいのか質問すればよかったと帰ってから思ったけど、その織物の会社の方は「うちの織り手」とおっしゃっていたので、ひとまずそれを踏襲しておこう)のお話が本当に素晴らしかったので、忘れないうちに粗いけどここに書かせてほしい。ただ、貴重な存在であられる織り手さんのお話を、あくまで聴かせていただいたわたしの感覚で、その一部を文字にするということをお断りしておきたい。 ************ 日本のなかで、みんなが知っているような有名な産地(たとえば博多織:福岡県、西陣織:京都、結城紬:茨城県や栃木県)であっても、帯や着物を織る人も、それを扱う会社も、どん
ゆうべアップした文章は、自分のなかで本当にずっとずっとくすぶっている思い。攻撃されることを承知で、いま言うべきことを毅然として言える人の姿に触れると、自分がみるみるうちに縮んでいく気がする。わたし、なにやってんのかなーと。 今朝もいつものようにおかん宅に寄って朝ごはんを一緒に食べた。イマイチ活気のない娘を見ておかんが言った。 「こんな社会で、あんたが伸び伸び働けるわけがない。それはあんたの責任ではない。わかっているのに声にできないことをそんなに責めなさんな。とにかく、まずは食べて、寝なさい」 ごもっとも。 別に、理屈ににげるつもりはない。けど、自分の苦しさがどこからくるのか、その根源について、納得したいという思いが、この崖っぷちの日々のなかでも湧いてくる。 苛まれずに、自分を大切にしながら、静かに学んだり、考えたり、したい。 おかんと話した数十分のなかから、そこに行き着いた。
さわやかな文章を書きたいとは思ってる。 読む人が清々しくいられることを書きたいとは思ってる。 が、しかし。 来月から、コロナに関連する「医療現場への公的な支援」がほぼなくなる。 でも、コロナが消えてなくなるわけでも、感染力が著しく弱まるわけでも、ない。 多床室(大部屋)に陽性の患者さんをそのまま寝てもらうのは感染対策上NGなのは変わらない。隔離する個室がなければ、多床室を個室扱いにしなければならず、それはつまり、そのまま病院の減収になる。そのダメージは、ものすごく大きい。来月を待たず、現場はすでにそのダメージを受けている。なぜなら補助金的なものは急激に削られていっているから。(説明が粗くてごめんなさい) 地域住民の健康を下支えしている中小民間病院が、採算が合わなくて経営難に陥るって、おかしくないか? withコロナは、病院単体では破綻すると思う。 それなのに、わたしが暮らして、そして働く大
今朝、夜勤明けのナースが私の部屋に強いノックとほとんど同時に入ってきて、ものすごい勢いでいまの現場の状況について「あなたはわかっているのか?これでいいと思っているのか?」と烈しく詰め寄ってきた。 正直、面食らった。 構えのないところにカウンターパンチを受けた感じ。 嵐のように一方的にものすごい勢いで話して帰っていった、ようにその時は感じてしまったのだけど、その後、ずっと考えてみて、これは今こそ「聴くべき話」だったんだなと納得した。 複数の感染症に同時に翻弄されて、危機的状況にある現場のなかで起きていること、スタッフの側、入院患者さんの側、どちらにとっても「非常事態」であることに、あらためて気付かされた。 そのなかで私がすべきことは何か、できることは何か。 その場で即答はできなかったけど、でも、明日にはしっかり方針を立ててみんなに伝えなければならない。 苦しい、というのが正直な気持ち。 でも
インフルエンザ明けで復帰しても、現場の大変さがおさまる気配はなくて、朝に夕にスタッフの手がまわらない仕事を、力不足ながらわたしも担っている。 感染症に翻弄されて、スタッフがどんどん疲弊していく日々がどこまで続いていくのかな。 春になったら少し状況はよくなるかな。 途方に暮れては前に進めないけど、本当に「綱渡り」以上に不安定でギリギリの状況が医療現場では続いている。 とにかく、乗り越える、のみ。 そのためには、おかんにも頼りまくる。 おかん宅で栄養をチャージして、今日もがんばります。
やっとこさ、2023年の仕事が終わった。 今年は本当に色々あった。 一年の後半、大袈裟でなく、組織の今後を左右するプロジェクトが動き出して、私はリーダーを支えるサブにまわった。 本格的な勝負は来年だけど、下準備もまた、ものすごく大変だった。小さい組織のなかで、いくつかの作業部会を立ち上げて、日々の仕事と並行してプロジェクトを前に進めてきた。 とにかく、リーダーが伸び伸びと動けるように、そのために自分が誰に何を働きかければいいか、どう発信すればいいか、逆に、いつからいつまで静観すればいいか、そんなことをずっと考えながら仕事をした。 そして、今日の「仕事納め」の段階で、いま辿り着くべき地点には到達できたと思う。それは、新しいリーダーのがんばりなしには不可能だったし、そのリーダーの方針を実践するメンバーの努力もまた、頭が下がるなんてもんじゃなかった。 みんな、すごいなぁと、心から思う。 めっちゃ
貴重な平日休みを取って、父夫婦の役所がらみの手続きに行ってきた。事前にいろいろ調べて、今朝、行く直前に電話で担当部署の方に確認したら、本人なしでもOKとわかり、一気に肩の荷がおりて、私ひとりでレンタル自転車で軽快にお散歩気分で行ってきた。 済ませてみて、ふと考えると、これ、父が自分で行くこともできたような気がした。あー、また甘えられてしまったなと思うけど、それはまだ私が若い(父に比べて、ですけど)から難なくやれただけで、80歳の父にはやっぱり大変だったかもな、と思い直し、気持ちよく終えることにした。 ところで、大阪市の区役所という場所に行ったのは初めてではないけどはっきりした記憶はなくて、少なくとも「維新体制」になってからは今日が初めてのことだった。ビフォーアフターは語れないのだけど、なんというか、殺風景で、なんとも寒々しい感じがした(職員さんは親切ではあったけど)。極め付けは帰り際、正面
今朝、立ち上がろうとしたらぐらんぐらんに頭が痛くて、半日仕事を休ませてもらった。 もともと偏頭痛持ちだけど、ちょっといつもより酷かったので、申し訳ないけど、急遽。 午後から出勤して、一緒に仕事してる理学療法士さんにお願いして身体をみてもらった。 触れるなり、「自律神経がだいぶ乱れてますよ」と言われて、いろいろメンテナンスしてもらった。 お風呂に入ったときの呼吸やらストレッチやら、ちょっとした体操やら、いろんなアドバイスももらった。 なんだか最近、ナースのくせに、と思わされることが多い。自分を粗雑に扱ってしまってるなぁと反省することも多い。 年末にかけて、まだもう少し忙しい日々が続くのだけど、自分のからだはひとつしかないし、自分を本当に大切にできるのはやっぱり自分自身やと思うから、ちょっと、いろいろ、工夫しないとなー。 読みたい本もあるし、やりたいこと、いろいろあるんやけど、とにかく、まずは
昨日、相棒ちゃんの小学校からのお友だち家族と一緒に、成人式の着物の前撮りなるものに行ってきた。 私自身は成人式も含めて着物を着せてもらったことがないのだけど、相棒ちゃんはかなり前から「成人式には着物を着させてほしい」と希望していた。 着物を決めてから随分時間も経過していたし、ここのところ仕事や父夫婦のことで心身ともに疲労蓄積気味なのもあって、正直、「あーー、撮影に一日付き合うのかぁ」って思っていたのだけど、これがまぁ、行ってみたら感動モノだった。 「普段着の相棒ちゃん」がプロのみなさんの手でどんどん変身していった。 それにつられて、相棒ちゃんの表情やら仕草もどんどん「それっぽく」変化して、その光景を眺めていると、ツーーーっと涙が流れそうにもなった。でも、それよりも、何というか、誇らしい気持ちというのか、愛おしい気持ちがうわぁーーっと膨らんで、あぁ、これは私へのご褒美でもあるのかも知れないな
さっき、遅めの夕飯の時間に、KANさんの訃報に触れた。 病気の一山を越えたら、次はどんな歌を届けてくれるかな、と、復帰を当たり前みたいに待っていたのに、まさかの報せ。 ちょうど看護学校の寮に入っていた頃、KANさん(当時はKANちゃんと呼んでいたなぁ)の曲をよく聴いた。歌詞もメロディも、声も、トークも、そしてピアノのタッチも大好きだった。超絶技巧じゃないけど、でも、彼にしか弾けない、そんなピアノだった。 戻ってきたかったに違いない。またみんなを笑わせて、泣かせて、あったかくさせる、あのステージに、あの笑顔でまた立ちたかったに違いない。 今夜は、たくさんのひとが、あなたの曲を想い出と一緒にぎゅっと抱きしめることでしょう。 ありがとう、そして、グッバイ・ピアノマン。 これからも、聴くからね。
わたしが働く病院の系列の訪問看護ステーションの所長は、わたしの「同期」。そして、彼女の娘さんも、うちの相棒ちゃんも「ナースの卵」。ナースとして、母として、共感できる相手でとても頼もしいひと。 先日、その訪問看護ステーションが次世代育成事業の一環で「訪問看護体験学習」の機会をくれて、看護学校2年生の相棒ちゃんも参加させてもらった。 学校から出かける実習とは違い、「レポート」とか「成績」の重圧から解放されて、訪問看護の魅力に純粋に触れられる貴重な機会。「お母さんの職場やからある意味実習よりもプレッシャーやわ」とか言いながら、前日はばあちゃん宅に泊めてもらい、豪華弁当を携えて一日訪問看護師さんに同行させてもらう何とも贅沢な体験学習だった。 帰宅した相棒ちゃんからは、所長をはじめスタッフのみんながとても手厚く指導してくれたことや、訪問先で利用者さん(病院では「患者さん」とお呼びするが、訪問看護では
その昔、高校の文化祭のライブでレベッカのコピーバンドのボーカルをやらせてもらったとき、「ステージ衣装」のお手本は、キョンキョンだった。アイドルだけど、「普通のアイドル」じゃない、「キョンキョンというかたち」というのがしっくりくる、そんな存在だった。・・・・お手本にはしたけど、相当にかけ離れていて、きっと誰もわたしがキョンキョンをイメージしたこと、気付いてないとは思う(笑)。 その「キョンキョン」が、いつの間にか「小泉今日子さん」になって、再び鮮やかにわたしの前に現れた。その姿は、さらにカッコよくて、ますますキュートで、そして凛としていて、たまらなく素敵。 遠い遠い存在のはずなのに、なんだかとても身近に感じさせてくれたのがSpotifyで偶然にみつけた『ホントのコイズミさん』というラジオ番組。いつだったかの夜中、全然眠れなくて、右に寝返り、左に寝返りして・・・「もう開き直って寝るのをやめてや
父夫婦が介護付き高齢者住宅に引っ越してから約一ヶ月が経過したタイミングで、弟が金曜日から一泊だけ再度東京から来てくれた。当初のわたしは父に対する怒りに頭が沸騰していたので、「この際、言うべきことは言わせてもらう」つもりでいたのだけれども、結果、至極穏やかなやりとりで終わった。不思議と不完全燃焼でもない。それは、弟のおかげ。 金曜日、年に一度実施される、保健所から病院への立入検査の事前提出書類の準備をやっと終えて、夕方車で2時間ちょっと走って父のマンション(父夫婦はすでに施設にいるので、ただいま荷物整理中の「空き家」で、父の用事で出向いた際のわたしの定宿)に車を停め、レンタルサイクルに乗り換えて駅前で弟と合流。 弟が東京から来た時の「お決まり」になりつつある、古民家をリノベーションした焼肉屋さんに自転車を押しながら2人で向かう。 弟は生ビール、わたしはジンジャーエールで乾杯。 あんまりたくさ
昨日、久しぶりに台所をちゃんときれいにしたら、途端にいいことがあった。 夕方、わたしがリビングで手織りをしていたら、コリアンタウンに遊びに行っていた相棒ちゃんが「おかあさん、おいしいキムチ買ってきたから、晩ごはんは韓国っぽくしようや」と提案してくれた。 「ヤンニョムチキンとチヂミでいい?」 「〇〇が作ってくれるなら、なんでもよろこんでいただきますっっ!!」と答えたら、「ニラと豚バラと、鶏モモ肉と卵、買ってきて」とおつかいを頼まれた。 「はいっっ!!」ととびきりいいお返事をして、駅前のスーパーへダッシュ。 相棒ちゃんが好きそうなパンとアイスクリームも含めて大急ぎで買って帰宅。 そこからの相棒ちゃんの手際に、まさに、見とれた。 最近、相棒ちゃんは居酒屋のホール担当のバイトを減らして、韓国料理屋さんのキッチンで「揚げ物担当」をしている。直接の担当は揚げ物だけど、こないだ聞いたところによると、店長
昨日仕事で、病棟の入院患者さんのお話し相手になる役をした。現場にでて患者さんに直接まとまった時間接することは珍しいのだけれど、昨日は人手が要るイベントがあったので、わたしも駆り出されたというわけ。 3人の女性患者さん、お三方とも認知症があられて、それぞれ自分の世界をしっかりもたれている。 夕飯までの1時間ちょっと、詰所の前に長机を置いただけの談話スペースで、私を含め4人であれこれ話をしながら過ごした. 入院していると季節がわからなくなるので、リハビリスタッフが患者さんと一緒に折り紙で季節の飾り付けを作ってくれるのだけれど、その折り紙が難しいという話から会話が盛り上がった。 「先生たちが教えてくれはるから、ちょっとずつできるようになって、やっぱりな、この歳になってもできへんことができるようになるのは楽しいですわ」と、最年長の患者さん。 するとお向かいに座っていた最年少の患者さんが「わたしは貧
ゆうべ相棒ちゃんが無事韓国一人旅から帰ってきた。 あいにくの雨で、リムジンバスの降り場まで迎えに行ってあげたら、スーツケースをコロコロ転がしながら大きく手を振って車に近づいてきた。 その姿だけで、なんとなく「おねえちゃんになったなぁ」と思って、頼もしく、誇らしく思った。 家に着くまでの車中でも、いろんなことを聞かせてくれて、家に着いたら、疲れているだろうに、おみやげのラーメンを作ってくれた。 てっきり爆買いしてくるのかと思ったら、スーツケースのなかは、ラーメンとお菓子と少しの化粧品。でも、話は尽きず。 「お母さんとも絶対行きたい。絶対楽しい。でも、一人旅はまた全然違う楽しさがあったよ」というひと言に、いろんなこと全てが集約されている気がした。 独りを楽しめるひと。 なんて素敵だこと。 見てきた景色も、食べたものも、全部が彼女を創っていくことだろう。
わたしは、かなり前から「眠りの質」が悪い。 寝つけない、眠りが浅い、お昼寝も苦手。 その昔、20代の頃はいつでも、どこでも、眠れた。立ってでも寝られた(笑)。相棒ちゃんを産んで、たくさん手がかかる時期のことは思い出せないけど、気がついたら「眠れないひと」になっていた。途中、5年ぐらい前には仕事のことが原因で心療内科に通っていたこともあり、休職している間は睡眠導入剤も飲んでいた。 復職してからは、車の運転に支障があったらどうしよう、とか、仕事中に眠くなったらどうしよう、と気になって、結局お薬は早々にやめてしまった。眠れないのはその後もずっと続いていて、慢性的にしんどかったけど、半ば諦めて暮らしていた。 でも、そんな投げやりでいいのかなぁと、ある時ふと思った。もっと何とかできるんじゃないかな、しないともったいないんじゃないかな、と。 そこから始めたいくつかのこと。 夜のウォーキング。 ウォーキ
筆(キーボード)が重くて、しばらく書けなくて、 久しぶりに書き始めると、とんでもなく長文になってしまい、仕切り直し。 おかんと、いろいろあったんです。 おかんが書いている「自分史」をめぐって。 ひとことで書くと、わたしは読みたくなかったんだわ。向き合いたくなかった。 だけど、おかんは、わたしにこそ、読んでほしかったんだよね。 そこんところで何度もさざ波がたってきたのだけど、少し前に大波がザブーンと押し寄せて、ちょっと正直、途方に暮れた。 そして、悟った。 わたしが向き合わないと、これ、終らないんだな、ってことを。 で、おかんが書き溜めている文章を、意を決して一気に読んだ。 そしたら、めっちゃ泣けてきて、恥ずかしいぐらい、泣いた。 そして、その涙の意味を、おかんにちゃんと伝えた。 そのあと、自分の家に戻ってから、おかんに送ったメールの全文。 昨日と今朝、とてもいい時間を過ごせたと思います。あ
「今年は、本を読む」という目標を掲げたのだけど、ほかにも続けていきたいことがある。 買えば簡単に手に入るものも、できれば、できる範囲で、自分の手を動かして、つくりたい。 材料も、新しく買い求めるのではなくて、端切れや、ずっとあたためていた毛糸や、友だちから譲り受けた着物を使って。 少し気持ちを軽くしたいとき、丸く丸く、ひたすら丸く編む毛糸のコースターは本当に「効く」。(毛糸を切るハサミは、相棒ちゃんが赤ちゃんのときに使っていた爪切り。使う度、相棒ちゃんの赤ちゃんの頃を思い出して、いまは言うことを聞かない19歳だけど、ちょっとかわいく思えるという効き目があります、笑) 隣に置いたのは、アフリカの生地と会津木綿で作ったノートカバー。アフリカの生地に貼ってあるラベルを剥がすと、接着剤が残ってベタベタする部分が発生する。その部分を譲ってもらって、表裏を逆にして活用している。 パッと見て裏を使ってい
2022年の年の瀬は、職場のクラスターもあったけど、とにかく忙しくて、大掃除なんてとんでもないし、自分のうちの日々の食事については手抜き常習者になっていた。 その一方で、我ながら「わたし、エラいよ、ほんま」と思っている。それは、「おかん」のいえの大掃除と、おかん一族のお墓のお掃除と、このブログには滅多に登場しない「おとん」への手料理配達なんか、やっちゃったから。 まず、おかんのいえの大掃除。おかんはかなりの「諦めモード」だったのだけど、わたしとしては、これをやらないと、なんとも「積み残した」感じがして、新しい年を迎えられない気分になるので、結構に疲れていた自分を奮い立たせて(大袈裟だけど、ほんと、そんなかんじの年末だった)がんばった。もちろん一人では無理だなぁと思ったので、相棒ちゃんを味方につけて。 案の定、というかそれ以上におかんは喜んで、「これで気持ちよく正月を迎えられる」とか言っちゃ
ちっちゃい頃、うちのおかんに季節のイベントごとを催してもらったことがほとんどなかった。クリスマスケーキも、自分で買うまで買ってもらったことがなかった。「季節外れのイチゴに生クリームに砂糖だらけのスポンジケーキなんて、体に悪いだけや」とか「ケーキなんて贅沢せんでもええ。寒空に家のない人もいてんねんで」とか、おかんの言葉ばっかり憶えている。 だから、自分の子どもには、クリスマスケーキを買ってあげたいと思ったし、誕生日もちゃんとお祝いしてあげようと、結婚もしてないときから思い描いていた。 ・・・はず、なのに、やっぱりおかんの影響は強烈で、結局、クリスマスケーキは何となく贅沢品な気がして、二の足を踏んでしまう。それと、ささやかでも「手づくり」を相棒ちゃんと一緒にしたいというのもあって、今年も家でプチクリスマスケーキを作りました。 カステラの切り落としをさらに半分の薄さにスライスして、フルーツと生ク
うちのおかんは、めっちゃ小柄です。 身長145cmぐらい(もっと縮んでるかもね)。だから手も足も、短い(笑)。そして足のサイズも20.5~21cmと非常にちっちゃい。 わたしが小学生の頃だから、おかんは30代後半から40代はじめ、その頃のおかんの姿で印象に残っているのは「いっつもおんなじ服着てる」っていうこと。もちろん洗濯はしてたと思うけど、たとえば上着、たとえばセーター、たとえばズボン、同じものしか記憶にない。 それは、Sサイズの服がほとんど流通していなかったこともあるだろうけど、「自分のおしゃれなんかかまってる暇もお金もない」というのが本当の理由だったと思う。シングルマザーでありながら、仕事だけでなく、社会運動に没頭していたおかんは、まさに「着たきり雀」だった。 私がおとなになって、自分で稼ぐようになり、相棒ちゃんを産んだあと、おかんに続きシングルマザーになって(笑)、おかんの家にパラ
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