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他者として遊女の「日記」を読むということ 「日記」を書く遊女たち(横山百合子)|REKIHAKU:歴史と文化への好奇心をひらく
※ このnoteは「REKIHAKU 特集:日記が開く歴史のトビラ」(2021年6月刊行)に掲載されたコラムの転載で... ※ このnoteは「REKIHAKU 特集:日記が開く歴史のトビラ」(2021年6月刊行)に掲載されたコラムの転載です。 きっかけは遊女の放火事件の資料東北大学附属図書館の著名なコレクション狩野亨吉文庫のなかに、一八四九(嘉永二)年の新吉原遊廓で起きた遊女の放火事件の資料があることに気付いたのは、数年前のことだった。『梅本記』と題された、新吉原京町一丁目の遊女屋梅本屋佐吉の抱え遊女たちの放火事件の裁判調書である。『梅本記』には、遊女の自筆の「日記」やその「日記写」も含まれている。しかし、近世文書としては実に風変わりで、解釈は難しかった。そもそも、一つの見世の何人もの遊女が「日記」を書くということがあったのだろうか。また、本当に遊女の「日記」だったとしても、なぜ遊女たちはなぜ「日記」を書いたのだろう。興味深い史料だと思いながら、なかなか手がつかないまま時が過ぎた。 エゴ・ドキュメントとは?そ
2024/05/12 リンク