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牧歌的なTwitterを思い出す~千葉雅也『ツイッター哲学 別のしかたで』を読む~|柳瀬涼
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牧歌的なTwitterを思い出す~千葉雅也『ツイッター哲学 別のしかたで』を読む~|柳瀬涼
インターネットとの距離感を考えて、そろそろ一年。距離感どころか関わらない方がいいという結論に傾き... インターネットとの距離感を考えて、そろそろ一年。距離感どころか関わらない方がいいという結論に傾きつつある。 「SNSはクソだぜ。あそこに見る価値があるものなんてねえよ。」 そう語ったのは我が親友だが、自分も概ね同じ考えであった。そんな話をしながらも親友に自分は言う。 「でも、そんなドブ川みたいなタイムラインでもお前の投稿は楽しみにしてる。」 「そう、俺はみんなに「お届けする」感覚だからな!多いに楽しみにしてくれて結構!」 自信100%の我が親友はさておき、彼のような、誰かのツイートを楽しみにするというのは、少し前なら珍しいことではなかった気がする。始めたばかりの頃のツイッターはもう少しのんびりしていたと思う。何でこんなにもスカッとしない場所になったんだろうとふと思った。 千葉雅也先生の『ツイッター哲学 別のしかたで』を読みながら、10年以上前のTwitterに思いを馳せてみる。 新居にてよ