エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
大陸戦線での日本軍の暴虐・蛮行─葦津珍彦が見た「皇軍」の実像─|神苑の決意
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
大陸戦線での日本軍の暴虐・蛮行─葦津珍彦が見た「皇軍」の実像─|神苑の決意
葦津珍彦は戦後、鶴見俊輔との対談で「私は戦中は、ハルピン、上海、京城、台北などとうろついていて…」... 葦津珍彦は戦後、鶴見俊輔との対談で「私は戦中は、ハルピン、上海、京城、台北などとうろついていて…」と話している。 実際、葦津は経営していた「社寺工務所」の支社が朝鮮・台湾にあったこともあり、アジア各地を訪れ、それぞれの地で多くの人々と交わり、様々なエピソードが残っている。 上海事変と葦津珍彦 そうしたなか、葦津は昭和12年から翌13年にかけて、第二次上海事変直後の上海を訪れ報告記を記しているが、葦津はそこで日本軍の恐るべき暴虐・蛮行を告発している。 以下、全文(途中滅失している)を引用する。 今や中支全戦線は、日本軍に依って荒廃に帰して終った。総ての財物は掠奪せられ、総ての婦女子は辱しめられた。かかる悲惨事は、凡らく近世の東洋史の知らざる所であらう。 激戦の後に一つの町が占領せられる。民家に兵が突人して来る。「女はいないか」と血走った眼が銃剣をつきつける。恐れ戦きつつも、愛する者のために、