エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
超越のほうが根源的である - イデアの昼と夜
ミュトス、すなわち神話によって真理を語るというのは、プラトンがとりわけ好んだ手法でした。現代にお... ミュトス、すなわち神話によって真理を語るというのは、プラトンがとりわけ好んだ手法でした。現代においてこの方法を用いることの正当性についてはいずれまた論じることにして、今は、私たちが取りくんでいる神話の帰結を追ってみることにします。 さて、思考はもともと、神につながる性質を持っていました。この点からすると、生きている神に向かうことこそが、考えることの本来の姿だったといえます。 けれども、原罪によって神から分離されている今の思考から見ると、超越のモメントというのは、ある種の跳躍をともなうものであるように見えます。 「神について考えるというのは、思考を誤って用いることなのではないか。」確かに、このようなものの見方は、現代においては当たり前の姿勢であるかもしれません。 しかし、この神話によるならば、むしろ超越のほうこそが、思考にとって根源的なものであるということになる。思考が超越から遠ざけられてい