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おみそ汁
pleasantbreeze.hatenablog.com
今日は仕事の組み合わせから、一緒に働いている人と仕事以外のことを話す時間が長かった一日でした。 そこで色々聞いた話。いわゆる人間関係のこと局様と一緒に働く女性がもう耐えられないという話、そのお局様が何人辞めさせたかわからないという話、そして、上ばかり見ていて下の人に横柄に振舞う男性の話。黙って聞いていると、みんなが感じていることと、自分が感じていることは同じようだった。 男性Cさんと会議が一緒になったときに感じた事。CさんはDさんと協業で会議の進行をしていました。Dさんは異動仕立てで勝手が良くわかりません。DさんはCさんより社歴が長い。そのDさんが、おそらくそのDさんが原因ではないミスをしました。 何となく、CさんはDさんにイラついているように見えました。Dさんのミスをカバーする行動をしているけれど、その気持ちの原点がDさんをフォローしようではなく、こんなミスしやがってとDさんを責めている
何かおかしい。日本橋高島屋で盗まれた純金のお茶碗、そして大谷選手の通訳水原氏の大谷選手の口座からの窃盗。 どちらも普通に考えればありえない事件のように思います。 日本橋高島屋で盗まれた純金のお茶碗。アクリル?か透明な箱で覆われてはいたようですが、その箱に鍵がかかっていなかったといいます。窃盗犯は、鍵がかかっていないところから盗み出し、自分のリュックに納めたそうです。 この窃盗犯、窃盗を終えた後、30分位高島屋に居たというではありませんか。また、店員さんもお茶碗が無くなったことに気付くのに20分かかったとのこと。窃盗犯からもお店からも危機意識を感じません。 窃盗犯は盗んだお茶碗を買取店で換金したそうです。その換金額は180万円。実物の値段の2割以下。これもおかしい。その査定をした人が1000万円の価値を見抜けなかったのか、もしくはそのお茶碗が1000万円の価値がないものだったのか(多分そんな
昨日の日曜日は気持ちよい晴天でした。その日は平日よりも少し早く起きました。朝起きて洗濯をし、洗濯物を干すときに窓の汚れが気になり、汚れていた窓も吹きました。 英単語の勉強を1時間くらい実施、その後6月に受験する資格の申し込み準備、その資格の講座に申込ました。そのころお昼になり、近所のスーパーに買い物に行き太陽の火を浴びました。昼食後、思い立ち家の中の氣の入れ替えをしました。 大きくは3つの入れ替えです。1つ目は溜まった本を整理して入れ替えました。資源ごみに出そうと思っていた書籍と本棚を見直し、段ボール1箱つくり、夜に引き取りに来てもらいました。 30冊くらいでしょうか。心身のバランスを崩したときに買った本のなかの一部や昔から大切にしていたけれど、お役目を終えた本。通信制大学で学んでいるときに、論文の方向性を考えるために買った本などなど、空いた余白に学び終えた大学の教科書を収めました。 2つ
人にはモチベーションがあり、モチベーションが高い状態で働けたら、プラスアルファの力を発揮できる。人には、強み・弱みがありその強み・弱みはそれぞれ違います。本来人が持つ強みを活かすことができたら、社会は発展するでしょう。 国は一億総活躍社会と言っているけれど、本当にその基盤を整えて、個々人の持つ能力をいかす社会をつくることができるでしょうか。個人の持つ強み・弱みはそれぞれです。 ダイバーシティーというけれど、その言葉が注目されること自体、ダイバーシティではないということだと思います。理想論で終わることなく、現実化できるのでしょうか。 当たり前のことを当たり前に認められる。それがとても大切だと思う。だけど営利組織だと、営利だけではなく、権力を持つ人の思考、好みに左右される。それが 当たり前のことを当たり前に認める阻害要因担っていると思う。 会社は営利組織といって、うまくすり替えて、従業員を働か
急に仕事を増やされて、イライラが止まりません。イライラするたびに、自分の意識が仕事にむかってしまっていること、また会社と自分のエネルギーが異なることを自覚しています。 なんだかんだいって、今いる場所は自分が選択しているのです。私は、会社に骨をうずめることはない。どこかで去る日が来ます。その日は自分のこころと向き合うほど、早まっていきます。 次の方向性が決まるまではと続けていますが、エネルギーが合わないことを自覚して、自分がイライラしてしまうことが良いとは思えません。 通信制大学に通っているときはうまく割り切れたけど、仕事以外に集中できるものがないとこうなってします。帰ってきて資格試験や英語の勉強をせずに嫌な気持ちを引きずっている。もしくは疲れ切っていた日々が続きました。今の不快なイライラを選択し続けてはいけないと考えています。 私は心身のバランスを崩してから、本音と建前がわかるようになりま
三段活用のようなタイトルです。力になってくれていると思っている人も聖戦君主ではない。実は、私を自分より力のない人と位置付けることで、自分を律しているんじゃないか。と感じることがありました。 その人は献身的な人です。自分が大変なのに、「周りの人が困っているお大変だから」と自ら渦中の栗を拾いに行く。よく言えば、そうやって仕事を引き受けているけれど、他の人が仕事をする機会を奪っているともいえます。本人はそれには気づいていない。 そうやって人に必要とされることで、自分を律している。そうしないと自分を律しられないのかもしれません。 会社では、その会社内での序列があります。メール等での依頼は、通常はその序列の順に並べるものです。 私の序列は会社の中で高くはありませんが、私よりも高くない人もいます。その人は、私を最後に扱います。 その人の補佐を頼まれたことを断ったら、「そこまでやったら、首が回らないよね
ここのところ、キッチンの排水溝からのにおいに悩まされていました。その匂いはいわゆるドブのようなにおいとも少し違い、甘くないチョコレートのような(というと良いにおいのような気がしますがそんなことありません)カビのにおいと感じていました。 キッチンハイターを排水溝にスプレーし、時間を置いてから掃除をしてみたものの、なかなか改善しません。カビじゃないのか、カビかもしれないけれど、目に見えないパイプの中の話なのか。 匂いを強く感じるのは、朝起きて水を出したとき、パイプの中に原因があるのかもしれないという考えに至りました。 実はこれは1ヶ月ほど前の話。すぐにパイプユニッシュを買っていました。それなのに、パイプのお掃除には取り組めずにいました。 しかし、不快が頂点に達し、ついに今朝パイプユニッシュの説明書の通り、排水溝に施してみました。そうしたら、しつこい匂いが消えました。 施しができなかったのは、掃
今日は通信制大学在学中お休みしていた趣味のお友達に会ってきました。お友達と言っても、私よりだいぶお姉さんです。私が卒業するころに、「そろそろ卒業されましたか?」とご連絡をくださり、卒業祝いをしてくださるとお声がけくださったのです。 その趣味では、2ヶ月に一度ほど、ZOOMで集まり、作品を見せ合ったりしていました。その方は、いつも画面上で屈託のない笑顔(作り笑顔ではない)、アクティブで意欲的に取り組まれていました。 通信制大学に通い始めて半年くらいのころ、リアルの教室が開かれ、飛び入り参加し、初めてお会いしました。実際に会ってみると、画面越し以上の笑顔とポジティブパワーにあふれ、目の前の日常を楽しむステキな女性と感じました。 そして今日、お会いしたのは2度目。お会いしてから4時間。話しっぱなし。とても楽しい時間でした。 今日はこの方の笑顔とアクティブの秘訣を知りたいと思っていました。その方は
本日ブログを投稿し始めて1000日目となりました。 1日目はこのブログについてご挨拶をかねて 今までの考え方や捉え方を手放して 今を大切に生きると決めたことを記しました pleasantbreeze.hatenablog.com 100日目では、 今までの考え方や捉え方を手放し始めていると感じ 過去の自分と比べて 目の前の現実への見方が変わり始めていること こころとからだの声に気が付き始めたこと 頑張って生きてきた自分を認め始めたことを記しました。 pleasantbreeze.hatenablog.com 200日目を迎えて 頑張りすぎる生き方を手放すと自分が決めたその気持ちに変わりはありません。 もう「頑張りたくないこと」に「頑張れなくなった自分」を実感しました。 そして、「頑張れなくなった自分」おそらくそれが 「ありのままの自分」であることを受け入れ始めました。 pleasantbr
どうやら私は、「自分を活きる」、「自分軸で生きる」ことを決められたようです。 3月31日、1年後に自分はこうありたいという未来をノートに記していきました。具体的に、箇条書きで。昨日も書いた「心理学の学びの方向性を定めるための1年」にする。そのために、何にチャレンジする。その勉強方法、やり方を決めていきました。 4月1日NHKのニュースから聞こえてきた声。「できないんじゃないあ。やり方がわからないだけ。やり方がわかればいい。」その言葉は、神が私に伝えてくれた言葉。ゴールに対して、やり方を考えて、実行する。次の学びがわかりました。よし、英語も心理学も1年かけて目標を達成します。そして、その過程において、私の心理学の方向性が定まります。自分の中に、頭から足へと一本の軸が通ったように感じます。 3月31日に衣替えをしました。私は少ないけれど、気に入った服を長く着るタイプです。物持ちもすごくいいです
早いもので今日で弥生(3月)が終了です。私の住むエリアでは、昨日急に初夏のように温かくなりました。昨日の朝は寝具、ダウンコートを洗濯し、風通しの良いところで干しています。 今年の弥生(3月)は私にとっても通信制大学の卒業という大きな節目を迎えました。一度二足の草鞋のうち,一足を神に預ける時、月初に立てた目標を振り返ります。 3月中旬に卒業式を迎えます。最後の大学生生活を楽しみます。 これは、本当に目いっぱい楽しみました。卒業式、出会った仲間との交流、そして波長が合わない人とは距離を置く。卒業式に出れなかった友人とも昨日あってゆっくり話せました。また、お世話になった先生ともつながりを持てました。 もう学生所も返してしまい、卒業証書が手元にあります。明日からは大学生じゃないんだなと思うと寂しい。ですが、この2年、目の前のことを目いっぱい楽しもうと過ごしてこれた自分を大切にこれからも自分を活きて
月1で参加している勉強会で知り合った60代の女性。 この方、数年前に離婚をされてします。くわえて、働く職場でパワハラを受けていたとのこと。話を伺うと、痩せ細って,悲壮感が漂う印象です。しかし,この方は、つやがある人なのです。 この方のお洋服を含めたファッション、ご自身に似合うコーディネートをされています。雰囲気でいうと、カフェでくつろぎながらコーヒーを飲んでいる雑貨店に勤めている人のようなイメージです。 身につけているものはいわゆるブランド品ではなく、雑貨屋さん等で売っているようなカジュアルさで、可愛らしい印象です。 そして、何よりもお肌がとても綺麗。お肌を見るとつやがあります。第一印象は、透き通った、パッと華やかな感じです。 髪の毛もつやをもちまとまっています。髪の毛からも生のエネルギーを感じます。 表情も穏やかです。眉間に皺を寄せることもなく、怒りや聞き苦しい言葉を発しません。他人の行
スピリチュアルの世界では、今日は宇宙元旦です。春分の日は、昼と夜の長さがほぼ同じになる日です。そこから、宇宙にとっての1月1日「宇宙元旦」と呼ばれているそうです。 今日までの間、また会社人間に引き戻されてしまいそうな揺り戻し(お試し試験)や、大学卒業後の進路を見定めるなど、だいぶ心が揺さぶられていました。迷いだけど、より自分軸をはっきりさせるための迷いでした。 今日の宇宙元旦はショートトリップ先で迎えました。私が日にちを決めたわけではありませんが、私が望む温かさを感じる。素晴らしいスタートになりました。 ちょうど宇宙元旦を迎えるころ、お昼ご飯を食べに行きました。私は中華料理が好きです。たまたま見つけて入った、お店の名前には「龍」という名前がついていました。 食事を終えた後、大雨が降りました。大雨の後は陽がさし、夕方には雷にあわせて大雨が降りました。雨が上がった空を見ると、曇り空の中に虹が出
久しぶりにはてなブログ今週のお題「卒業したいもの」に参加します。 実際に私は、通信制大学を「卒業」ですが、その前に、「卒業したいもの」をテーマにブログを書きます。 まず、通信制大学、編入から2年で卒業することが目標だったけれど、いざ卒業となると「卒業したくない」。学ぶことが楽しいし、もっと学びたい。いざそうなるとまだ「卒業したくない」。 しかし、見方を変えれば、2年間で得た経験、知見を活かして、新しく羽ばたく基盤ができたことは喜ばしいことです。次の学びを深めます。 では卒業したいこと。たくさんあります。一番卒業したいことは、「会社人間マインド」。以前のわたしが10、私のゴール地点が0だとすると、今は3~2位、卒業間近。揺り戻しされない強さ、意識の向け方の訓練がもう少し残っています。 具体的には、ゴールの0地点は、「今の会社は生活するためのお給料を頂くために働いている。自分の生活のために働い
振り返れば、仕事において、「自分はできる。」「自分は正しい」、「この考えならいける」と主張していたように感じます。これは言葉を返せば、聞く人によっては、「あなたはできない。」、「あなたは正しくなく」、「あなたの考えではいけない」と聞こえていたのかもしれません。それは、自分から波風を立てること、流れに抗うことだったように思います。 その私の言動の根っこには、他人と比べて「自分はダメではない」という気持ちが根底にあったと思います。私は、自分はダメではないと頑張っていたのですが、上司によっては、「なぜ,自分の考えに立てついて、反発してここまで言っててくるの」と思ったでしょう。考えが違う部下を「ダメ」と思うこともあったでしょう。 私はこれに気がついていなかった。だから、自分が思うような評価は得られなかったのだと思う。 人はいろいろな人がいて、一人一人違う、多様性がある。自分と考えが異なる人はいて当
体調を崩しました。今日は1日ベッドの上で過ごしています。ここのところ、仕事で精神的に嫌なストレスがありました。卒業研究を書き終えてから、次の学びの準備をしつつも、今まで目を向けていなかった仕事のことが中心になってしまい、また、ストレスを感じることもあり、その心労が身体に出たようです。 とはいえ、過去から信頼関係にある人との語らいがあったり、自分の方向性は見失わずに入れたようです。おそらく、新しいステージへ進むエネルギーの入れ替え時期なのだと思います。 こういう時こそ、きちんと食事を摂りたい。食事のバランスが乱れていたことから身体に影響が出たようにも思います。ですが、まだあまりお台所の水を触りたいと思えません。こういう時はもうちょっと我慢です。家でもあるものからさっと食べるか、お弁当を買いに行くか。今日はまだ外にも出たくないので家にあるものからさっと食べたいと思います。 そうやって考えると、
卒業研究が終わり,いろいろ考える時間ができ、会社の人たちとの交流を増やしたら、意識が会社に向いてしまいました。 冷静になれば、私は会社関連で自分を活かすのではなく、私・個において、自分を活かす、心豊かに丁寧に生きる。そうありたいと思っています。そ知らに意識が向くと、こころがすーっと心地よく、居心地が良くなります。しかし、会社のことを考えると、その気持ち蓮っと変わり、胸に何か重しがあるような感じになります。 今それがわかったことを良しとしよう。4月後半からは民間カウンセラー資格の講座に通うことが正式に決まりました。そして、それまでは、心理学検定を受験する。大学院予備校の説明会に行く。大学院入試の英語を勉強するにあたってTOEICを受ける。 すべては、自分を活かす場への土台作りに動いている。こちらのことを考えると心地良い。その心地良さは、方向性が合っていることを示しているのだと思います。 また
仕事の話です。①では、②に関する内容としては、私は現場で事務業務を行う人がスムーズに事が進むように解決する役割ですが、なかなか、前に進まないことを書きました。その理由は、私の業務に関連する部分での判断材料であったり、知見では判断できないことを、上席に判断をゆだねるのですが、というようなことを書きました。 pleasantbreeze.hatenablog.com その上席の言うことに一本軸があるならいいのです。ですがその軸は理解しづらい。本人も迷っているのも現状です。加えて、白黒つけるよりも、ファジーにしている方が良いこともあります。それができるのがその上席の良いところでもあります。ですが、そうなるとその人の判断がすべてになってしまい、その人に聞かないと前に進まなくなってしまう。 もう一つ困った理由があります。その私の上席にあたる人は、現状がわかっていない。それには理由があって、その人が欠
久しぶりに親しい友人を家にお招きしました。自分が計画したいと思ったおもてなしはほぼほぼできました。お料理をつくるにあたり、材料を買うこと、料理の手順を考えること、テーブルのセッティング、グラスやお皿、おはし等々をどうするか考えながら進めること。いろいろと複数のタスクを並行して行っての準備です。そこにおうちの掃除も入れば、自身の生活のためのお洗濯等日常の家事も入ります。それがすべて思うようにできたことがとても嬉しかった。 心身のバランスを崩したときは、食べること、寝ることもままならなくなりました。そして、食べることにあたるつくることもなかなかできなくなりました。お料理をつくる、並行して行うであったり、旅行を計画して実行するということは、心身のバランスを崩しているときには難しいものです。 いろいろな準備、これは自分が思うようにできました。また家にあるもの、テーブルクロスやコースター、お皿、グラ
月初このように書いていました。 今年の如月(2月)は29日あります。2024年如月(2月)も社会人学生としての節目となる卒業研究を提出する感慨深い月になりそうです。1日として同じ日はないように、同じ1ヶ月もない。2024年如月(2月)を生きるにあたり5つテーマを掲げました。 pleasantbreeze.hatenablog.com 月初に感じていたように、あっという間のような、いやいや1年位あったのではないかと思うくらい濃密な月になりました。定めた目標ごとに振り返ります。 2月中旬までは卒業研究をやりきる これは、本当に、やり切りました。今の自分の実力でできることはやった。自分がそう思うことが何よりも深い経験となりました。 2月中旬のゼミで発表してから提出までの1週間。久しぶりに必死に頑張りました。きつかったです。それまでも、卒業研究漬けの毎日でしたが、ここからがやっと自分が考えて考察を
先週末大学の卒業研究の打ち上げがあり、怒りを持った2人を許そうと思ったことを書いています。③ではその中の一人の先生のことを書きました。 先生はなんとなく、学生から好かれていません。そりゃそうでしょう「自分の頭で考えろ」と言い続け、学生からの返信はしない。指導方針が良い悪いかは別として、人として好かれないことは仕方ないと思います。 それでも、先生はちゃんとその集まりにきました。返信をしないような状況で、よくきたなと感じます。多くが自分よりも年上の生徒、それも社会人ばかり。社会人からすると返信をしないってありえない。それだけで信頼を失う話です。先生は、一般企業では働いたことはないようです。そういうことがわかっているのかどうかはわかりませんが、返信をするというのは世の中の礼儀です。 会の最中、先生は、嬉しそうにしていました。生徒との飲み会なんてそんなにはないでしょう。その先生は自分で、熱くなると
先週末大学の卒業研究の打ち上げがあり、怒りを持った2人を許そうと思ったことを書いています。その中の一人のことを①②で書きました。 その人とリアルであったのは久しぶり、人生の中で大きな困難を抱えていて、その人の人生を、その人らしく生きるために、コントロールしながら頑張っていると感じました。頼られることは不安だったけど、それは私を馬鹿にしているからではない。頼られたことに対して、返す範囲は自分で決めればいいのではないかということを書きました。 pleasantbreeze.hatenablog.com pleasantbreeze.hatenablog.com 今日は、もう1人怒りを感じた人のことを書きます。それは先生でした。 先生の指導方針は、「自分の頭で考えろ。自分で調べろ。学生同士話し合うのが一番勉強になる」というもの。確かにそうです。その通りです。ですが、それであれば、学生が任意で学習
昨日、「他人を許す」と、感じたことがありました。 昨夜は満月の日でした。9月の満月の日には、通信制大学で仲の良い友人と二人で食事に行き、いろいろな話をしまして打ち解けあいました。その時も多くの気づきがありました。 昨夜も満月の日でした。昨夜は卒業研究をともに学んだ仲間と先生と打ち上げでした。 集まったメンバーのうち2人に対して、私は怒りを感じていました。その中の一人には、何となく会いたくないとまで思っていました。ですが、参加後、そのどちらに対しても「許そう」と思ったのです。今日はそのうちの一人のことを書きます。 一人は、私を射ように頼り、甘えてきた人でした。悪く言えば、自分の手足として(そのつもりはなかったのかもしれないけれど)、利用しように感じる人でした。 その人へは途中から明確に線を引いていました。共通の知人からは、私の態度が変わったことに何かしらを感じているようだといわれました。そう
周りの一部の人に対して感じることがあります。調子いいなと。 本来自分がやることを他の人に頼んでおいて、あたりまえだと思っているように感じる人がいます。また、具合が悪いと言っていて、ずっと在宅勤務をしているのに、自分にとってメリットがある外出は卒なくこなす。私は彼らを見て、嫌らしい、自分はまわりに協力しなくても、自分本位でやっていても許されていると感じているように見えます。 こう思う私のこころが狭いのでしょうか。私は彼らに特段のフォローはしません(私が特段にフォローされているわけではありません)。自分からは接点を持ちません。特段協力する気持ちもありません。 周りの人たちは、私が感じてるようには見えず、具合が悪そうな人には優しい言葉を掛けています。またやることを押し付けられているようにも見えません。 以前、一緒に働いた人で、教えた仕事ができない人がいました。私は呆れました。それで少し厳しいこと
昨日夕飯の用意のために、スーパーに行きました。そのとき、いちごがお手頃価格で売っていました。お手頃価格のものは,あまり甘くないことがあります。甘いいちごを食べたい、香りを嗅いでみると、甘い食べごろの香りがしました。 昨夜は一段落したこともあり、少し多めに夕食をとりました。いちごを買ったことを忘れていて、片付けの後冷蔵庫から出しました。 いちごは、パックのなかに2段につめられていました。上の方は大きな粒のいちご、下の方は、小さな粒のいちごでした。 イチゴの表面は、赤さの中にみどりの種のようなものと、あかさを纏うような艶やかさがあります。あの艶やかさが好きです。おいしそうと思いながら、上の方のイチゴを水洗いしていきました 3つ目のいちごをつかんだときに、水分とグチャッとしたものが手に触れました。下の段にあったいちごの一部潰れていて、白くなっていました。それも、上の段にあったいちごとその白い面は
卒業研究提出できました。スター、ブックマーク、コメントにて温かい応援をくださりありがとうございました。心より感謝しています。 実は提出直前に、先生の勘違いからモチベーションがガクッと下がることがありました。事務局に初めてクレームを入れてしまいました。ですが、相手は変えられない。私は、卒業研究を書くという経験、将来の大学院受験のために、自分のためにやっています。気持ちを持ち直して、ゴールを迎えました。 先生からの少ない指導から、自分なりに論理構成を見直すことができ、発表時よりも、内容を高められたと思います。そもそもの書き方があっているのかとかは今もわかりませんが、今の自分の実力では納得のいくものが書けました。 科学的文書の書き方、論理構成等、(あまり指導もなく)考えて、考えて進めました。それは私の力になっていると思います。ですが、論文を書いていて一番に気が付いたことは、自分がどうしたいがわか
以前、プライベートでお会いした大学の同級生であり、人生の先輩。二次会に誘われ、目の前でタバコを吸われ、咳き込んでいるにも関わらず話をやめないことにショックを受けました。その翌日のお礼を交わすメールにも、タバコのことの謝罪がなく(変える前に謝罪はありましたが)なんだか嫌な気分になりました。 その方からメールがきました。返事をする気持ちになれません。卒業研究でそんな余裕がないこともあります。ですが、私の中で、この人とのコミュニケーションから、また同じような嫌な目に遭いたくないと思っているようです。 タバコのにおいがするところにはいきたくありません。というのもありますが、この方が話す話題は、概ね不満ばかり。疲れます。一方的に自分の思いばかり言われても、こちらは楽しくないです。あちらは楽しいかもしれませんが。 人としての礼儀としては、返事をするべきでしょう。卒業式に一緒に行きたいと言っていたので、
卒業研究の説明を終えて、先生から自分が詰めきれていないところを指摘されました。難題に1つは対応、1つは見送り、今後の継続検討課題としました。 以前にも書いていますが、説明をした内容での提出許可はもらっています。しかし、宿題に対して修正した内容は先生の確認なく最終提出して良いとのこと。私だけでなくみんなに対してです。先生の方針(わたしが変えられることではない)ですから仕方ありません。 論文は2万字以上書くことを求められます。その2万字をエッセイではなく、科学的文書で書き上げるのです。 エッセイはこのブログのように自分は〇〇と思うという、自分の考えや気持ちを科学的根拠がなく書くものです。 科学的文書は、自分の考えや気持ちをかくものではありません。考察ではこれらのことを考えたことは、先行研究のA、Bに裏打ちされるものである。というように、根拠を 明確にして書くものです。もしかしたら異なるかもしれ
今日は3連休中日です。予定通り、卒業研究に追われています。 私が通う通信制大学では,卒業研究にあたり担当教員のもと研究を進めます。その先生の指導方針は、「自分の頭で考えること」を重視しています。先生は、学生の質問に対して、よほどのこと(研究が成り立たないと考えること)がない限り、応えません。 その答えもNGという判断で、なぜNGかは自分で考えるか卒業研究を共に進める仲間と議論して考えろというスタンスです。先生は答えを持っているので、答えを言ってしまっては勉強にならないからだそうです。 もしこれが、実際に顔を合わせている(通学して週1回等担当教員も参加するミーティングがある)ならば成り立つと思います。通信制大学に通う人は大体は働きながら学ぶ学生。対面で集まれることはないし、ズームで集まれたのは、親しくしている人と2回のミーティングのみです。 学生同士、他者目線での指摘はしあえるけれど、学術的
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