エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
樺太国境画定標石(東京 神宮外苑) - 日刊 おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
樺太国境画定標石(東京 神宮外苑) - 日刊 おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)
東京にある明治神宮外苑のわきにひっそりとある1つの石。 「大日本帝国」の文字と菊の御門が刻まれてい... 東京にある明治神宮外苑のわきにひっそりとある1つの石。 「大日本帝国」の文字と菊の御門が刻まれています。 この石を掘り下げると 樺太(サハリン)の日露の歴史が見えてきます。 (樺太国境画定標石) 東京都神宮外苑にある聖徳記念絵画館。 この建物を正面に見て左側に,繁みの中に1つの石があります。 これは、1926年(大正最後の年となる大正15年)に樺太庁より寄贈された 樺太国境画定標石の「天第四號」のレプリカです。 1905年(明治38年)日露戦争に勝利した日本は、ポーツマス条約で樺太の北緯50度以南 を日本の領土とすることになりました。 そのため1906年(明治39年)から1908年(明治40年)にかけて樺太(サハリン)で 日露両国の国境を定める作業が行なわれます。 そして、1908年(明治40年)9月に4基の天測境界標を置き国境を確定します。 日本が国境標石を設置したのは、歴史上この時だけ