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月野の太田神社、こんなところにオオタタネコ - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
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月野の太田神社、こんなところにオオタタネコ - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
太田神社(おおたじんじゃ)は鹿児島県曽於市大隅町月野に鎮座する。御祭神は太田田根子命(オオタタネ... 太田神社(おおたじんじゃ)は鹿児島県曽於市大隅町月野に鎮座する。御祭神は太田田根子命(オオタタネコノミコト)。月野はかつての日向国救仁院(くにいん、志布志、しぶし)のうちで、大隅国との国境の地でもある。 オオタタネコを祭る神社が、なんでここのあるのか? 気になるのである。 オオタタネコ 太田神社の由緒 大きな水車が目印 棟札には島津義弘の名も オオタタネコ 古代の三輪山伝説にオオタタネコは登場する。『日本書紀』では「大田田根子」、『古事記』では「意富多多泥古」と書かれる。 ミマキイリヒコイニエノスメラミコト(御間城入彦五十瓊殖天皇/崇神天皇)の御代に疫病が蔓延し、国内の半分もの人が死んだという。その原因を、天皇はヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫命)に占わせると、オオモノヌシノカミ(大物主神)が神がかりして「我を祭れ」と宣託する。その言葉にしたがって祭祀を行うも効果はなかった。天皇は教