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旭琉会抗争30年、凶弾の行方と「勝者」の独白…底冷えの夕暮れから遠く離れて<沖縄発> - 琉球新報デジタル
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旭琉会抗争30年、凶弾の行方と「勝者」の独白…底冷えの夕暮れから遠く離れて<沖縄発> - 琉球新報デジタル
7人が犠牲に 高校生が殺された現場。脚立の下には被害者の靴が残っている=1990年11月22日、那覇市前島 ... 7人が犠牲に 高校生が殺された現場。脚立の下には被害者の靴が残っている=1990年11月22日、那覇市前島 あの日、入社2年目で25歳だった私は社会部の事件担当記者として那覇警察署にいた。警察官と雑談をしていたら、署内が突然慌ただしくなり、パトカーが次々とサイレンを鳴らしながら飛び出していく。 通信指令室に「何かあったんですか?」と尋ねると「前島で発砲事件が発生した」と険しい表情で返された。私はすぐさま250㏄のオートバイにまたがり、パトカーの後を追い掛けた。 那覇市前島の暴力団組事務所前で発砲事件が起きていた。近くで工事に従事していた定時制高校に通う19歳の少年が対立組員に誤って射殺された。路上では住民が不安そうな表情で見守っている。私が現場に到着した直後に「パーン」という乾いた音が響き渡った。銃声だ。事務所の組員が報復で拳銃を発射したようだ。私も周りの人も慌てて身をかがめた。 1990