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日本兵が避難住民を虐殺 「語るため、生かされた」生存者の仲村さん、兵庫で語り部 沖縄・大宜味の渡野喜屋事件 - 琉球新報デジタル
大宜味村渡野喜屋(現・同村白浜)で1945年5月、日本兵が多数の避難住民らを虐殺した渡野喜屋事件の生存... 大宜味村渡野喜屋(現・同村白浜)で1945年5月、日本兵が多数の避難住民らを虐殺した渡野喜屋事件の生存者が兵庫県尼崎市にいる。 生後3カ月だった仲村元一さん(79)。祖父ら親族5人が命を奪われたが、母らと共に奇跡的に生き延びた。軍隊は住民を守らない。戦争の教訓を忘れてはならないと、語り部として活動を続ける。 元一さんは同年2月8日に那覇市で生まれた。7年前に99歳で亡くなった母の仲村渠美代さんは戦争中の体験をあまり語らなかったが、問わず語りに話すことはあった。 元一さんの父が防衛隊に召集され、亡くなったこと。生後すぐ激しい空襲があったこと。その後、祖父の仁王さんら親族9人で北部を目指したこと。しかし、米兵に捕らえられたという。連行された先が渡野喜屋。数十人が集落の空き家に収容された。 仁王さんは班長に指名され、缶詰など支給品を配った。数日後、姿を見せた住人にも缶詰を手渡した。山に隠れ、困窮
2024/07/18 リンク