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萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
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萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
マニアさま―― わたしはまったくもって人間であります ほんとです こういったまんが好きのマニアの一派に... マニアさま―― わたしはまったくもって人間であります ほんとです こういったまんが好きのマニアの一派に、いわば変格マニアとでもいうべき少数派がいて、これを私はド・マニアといっている。 その考察は独断と偏見に満ち、その自己顕示欲はボウリングのボールのごとく、ピンをすっとばして、疾走し、その鼻は芸術性と文学性に満ちて天をあおぎ、一般大衆を見くだすその目はカマキリのごとき。 萩尾望都といえば、1970年代を通じて最も「マニアうけ」した少女漫画家であったと言っても過言ではないかと思います。 やっぱりというか、残念ながらというか、そういう人には(ごく少数だった、とは思いたいけど)困った方もいらっしゃったようで、萩尾望都も少々、いや、かなり苦労していたみたいなんですね。 「まんがABC」より「M・マニア」 別冊少女コミック1974年6月号に掲載された読切「まんがABC」(現在の所単行本未収録)より。*
2009/05/01 リンク