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トーチweb 老後を考える 【老いを追う 14 〜年寄りの歴史〜】
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老いを追う 14 〜年寄りの歴史〜 畑中章宏 第五章 隠居はかなえられたか 2 この時代に「ご隠居」... 老いを追う 14 〜年寄りの歴史〜 畑中章宏 第五章 隠居はかなえられたか 2 この時代に「ご隠居」と呼びかけられて素直に応じるのは、落語のなかの年寄りぐらいのものではないか。しかし長らくテレビのなかには、日本人ならだれもが知っている「ご隠居」がいた。番組のクライマックスで毎回発せられる言葉を借りると「恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公」、通称、水戸黄門のことである。 元禄時代のこと、水戸藩主を隠居した徳川光圀が、助さんと格さんをお供に諸国漫遊の旅に出る。「ご隠居」は庶民を困らせている代官や商人がいると、三つ葉葵の印籠を見せつけて、「ご老公」としての正体を明かし成敗する。だから「ご隠居」とは名ばかりでかなりの達者なものである。では実際の光圀はどうだったのか。 水戸藩第二代藩主の徳川光圀(一六二八~一七〇一)は、六十二歳で幕府から隠居の許可がおり、養嗣子に藩主を継がせた。翌年五月、「西山荘」と