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おみそ汁
toruhijino.hatenablog.jp
蔣兆和 「流民圖」 1943年作 Trois Mille Ans de Peinture Chinoise 南京事件を中国人の眼で見ると、どう見えるか。作家、堀田善衛は、それを小説『時間』(1955)で試みた。大虐殺事件を被害者の眼でみると、どんな光景が現れ、日本人の言動がどう見えたのか、を堀田は描いている。この斬新な企てを、辺見庸さん(以下敬称略)は「目玉の入れ替え」と呼び、堀田の勇気に敬意を表している。 彼は1945年春、27歳のときに上海に渡り、そこで敗戦を体験し、1年間、国民政府に徴用され広報部で働いた。敗戦前に、彼は南京を訪れ、城壁の上から見た紫金山の岩肌の美しさにうたれ、「人間とその歴史の怖ろしさ」を書きたいと思ったという。 『時間』の主人公は中国の知識人、陳英諦(37歳)である。6年間、インドと欧州で学び、帰国して海軍省に勤務。彼には妻子があった。しかし、陳の平穏な日々も、
“われわれは自らを文明人と称し、彼らを野蛮人という。しかしこれが、文明が野蛮に対してやったことだ”ヴィクトル・ユーゴー 1860年 円明園の遺跡 BBC Magazine 円明園(英語では通称Old Summer Palace in Beijing)は北京の紫禁城(故宮)の西北8キロにあり、広さは紫禁城の5倍もある。清朝皇帝の離宮があったここは中国最大の観光スポットで年間600万人が訪れる。ユネスコ世界遺産の円明園は紫禁城のように昔の姿をとどめていない。1860年、第二次アヘン戦争の最中に英仏軍によって徹底的に破壊されたからだ。中国建築の粋を集めた200の建物に所蔵されていた書画、翡翠、絹織物、磁器、紫檀調度品など美術品の大半は英仏軍の将兵が略奪し両国へ持ち帰った。 円明園は康熙, 雍正, 嘉慶の3代の皇帝が150年をかけて造営したものだった。第一次アヘン戦争(1840-42)前の183
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