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終わりの後を生きること——『葬送のフリーレン』における時間の二重性 - UZ -browse the shift-
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終わりの後を生きること——『葬送のフリーレン』における時間の二重性 - UZ -browse the shift-
物語はすでに終わっている 『葬送のフリーレン』という作品を前にして、私たちは奇妙な居心地の悪さを覚... 物語はすでに終わっている 『葬送のフリーレン』という作品を前にして、私たちは奇妙な居心地の悪さを覚える。それは物語が面白くないからではない。むしろ逆だ。あまりにも「正しい」場所から始まっているからこそ、私たちは自分がどこに立っているのかわからなくなる。 勇者ヒンメルは魔王を倒した。世界は救われた。パーティは解散し、それぞれの人生を歩み始めた。——通常のファンタジー作品であれば、ここでエンドロールが流れる。「そして彼らは幸せに暮らしました」という定型句とともに、物語は閉じられる。 しかしフリーレンは、その閉じられた扉の向こう側から始まる。 これは単なる「後日談」ではない。後日談とは、本編の余韻を楽しむためのおまけであり、物語の中心は依然として「本編」にある。しかし『葬送のフリーレン』において、魔王討伐という「本編」はすでに終わった過去として処理され、作品の主題は明確に「その後」に置かれている

