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新内閣発足
why-newton.hatenablog.com
まあこういうことって、「今夢中で追いかけているとき」には見えないものである。 揶揄されているMBAやビジネススクールだって80年代には立派な金看板だったし。 時代が変われば、価値観も変わり(それも結構めまぐるしい)、 価値あるものの基準、が変われば、生活も変わるし、人生も変わる。 ちょっと宗教的だけど「囚われない心」という感覚を常時持ち続けることが、非常に重要だ。 『億万長者』 メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。 メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。 その魚はなんとも生きがいい。 それを見たアメリカ人旅行者は、 「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。 すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。 旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」 と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だ
考える人 2009年 08月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/07/04メディア: 雑誌購入: 2人 クリック: 18回この商品を含むブログ (17件) を見る 内田樹×鶴澤寛也(女流義太夫)の対談から。 対談者同士、どちらも厳しい「お稽古事」を日々こなすうちに培った「プロ意識」の話が出ている。 こういう話、はじっくり噛みしめて「味わいつくす」といい。というか何よりの酒の肴。 一番の好物か。 自分たちが生きていく上での「エッセンス」が凝縮されている、と思う。 こういう話を発見するのが自分にとって何よりの読書の醍醐味なのだ、と今気づく。(焦) つまりこういう「お得感」を味わったときに快感を覚えるのが自分という人間らしい。 ちなみにこの本で心惹かれたのは、この内田さんの対談の本の二ページでしかない。 あとはまるで興味なしだった。 物語を楽しむ、とかそういう主旨にどうし
少年時代には、素直にその漫画の面白さにお世話になっていた。 友人の家で読んだ週刊誌の天才バカボンのある回のこと。 作品中に絵がなく、「コマ割り」しかない真っ白の空白を多用し、あり得ないくらい「手を抜いてやるゾ!」いう主旨で読者を驚かせる一作は、涙を流し、呼吸困難になるほど友人と笑ったのを思い出す。 最近ふせっていたとは聞いていたが、そのまま永眠。 いつもそうだが、人がなくなって初めてその偉業に気付くのも何か残念に思う。 バカボン、という言葉がvagabond*1の「さすらい人」という意味だと知ったのは最近だ。 天才バカボンは「天才漂流者」という意図だったわけで、「賛成の反対」とか「忘れようとしても思い出せない」などの有名なフレーズは、何かただの「ギャグ」をしていたわけではなく、「ある達観した天才」が人間社会を放浪し、人間そのものに嫌気がさしながらも生活してゆかねばならない、というある種「絶
梅田さんの一連の記事が続いている。 「量が質に転化する瞬間」という表題を見ただけでビビッ!ときた。 どうも自分はこのテの「成長」とか「価値観」とか、そんな話題が最も気になるらしい。 [次の世代へ]成長の法則。 で、棋聖戦の後、羽生さんがつひに、ついに「永世名人」となった後。 さらなる梅田節をひそかに期待していたのだが、果たして。 がただの祝辞ではなく、重要な提言がある。 またも構造化の達人、梅田望夫のフォーカシングが冴える。 http://sankei.jp.msn.com/culture/shogi/080623/shg0806230330000-n1.htm 最も気になる点を。 記事中、羽生さんの著書からの引用部分。 「いまは知識の雪だるまを作ってるような段階です。 どんどん蓄積して、どんどん分析することで、雪だるまが急激に大きくなっている。 転がり続けていますから。 でもその雪だるま
梅田さんの棋聖戦観戦記シリーズ。 これはこれ単体でも面白く、さすが実践の「対局」ではなく「将棋観戦」を独立した趣味だと標榜する氏ならではの格調のある、また熱気がムンムン伝わってくる名記だ。 だが面白いのはここからだ。 上記の記事の執筆中、「はたして二人はこの対局が三年前にあったのを知っているのだろうか」など抱いた疑問について、羽生、佐藤をフォローし、追記する。 2008-06-12 - My Life Between Silicon Valley and Japan ネットの記事をマニュアルで補完したわけだ。 これはこれで、控え室などで相当深い解説がプロたちによって交わされていた結果、を補完するものなので、相当面白い。 通常の観戦記などの倍は深みが出ていると思う。 ところがこれだけで終わらないのが梅田望夫である。 棋聖戦「孤独な営為に深い感動」というタイトルでこの勝負を総括する。 ここらが
*[ウェブ進化論]保身の大掃除の時代。 生成型AIが普及し始めて3年。 ようやくホワイトカラーの仕事に焦点が移って来ている。 ホワイトカラーの人たち自身が「徹底的に目を背けてきたタブー」だけれど、こういう現象はそこら中に見られる「構造上の欠陥」でしかない。 官僚に法律の施行規則を作らせると、その目的を外れて「規制の対象を生み出すこと」に目的がすり替わってしまう。 もちろん「政治家に政治倫理の規定」を作らせても同じことだし、民間企業や団体が作る「自主規制ルール」というのも同様の性質があるものだ。 これからの世の中は、三権分立の枠組みを超えた「独立組織の仕組み」が作れるかどうかが将来の鍵を握るのではないだろうか。 それはともかく。 ホワイトカラーの当事者に「お前たちのクソ仕事を残らずあからさまにせよ」というのは罪人が罪人を摘発するようなものなのだ、という根本原理を分かっておく必要があるのだ。
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