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8月25日(火曜日) 真夏のキムチ鍋!京極高次とお初のエピソードが面白い - 6AKA! (ロクアカ)
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8月25日(火曜日) 真夏のキムチ鍋!京極高次とお初のエピソードが面白い - 6AKA! (ロクアカ)
朝トレ8k 今オーディブルで聞いてるのがこれだ。 戦国時代の城壁(石垣)を築く石工集団の話。穴太衆... 朝トレ8k 今オーディブルで聞いてるのがこれだ。 戦国時代の城壁(石垣)を築く石工集団の話。穴太衆(あのうしゅう)は、近江国坂本(現在の滋賀県大津市坂本・穴太地区)を拠点とする伝説的な石工・技術者集団です。自然の石をほとんど加工せず積み上げる「野面積み(穴太積み)」の高度な技術で知られ、全国の多くの名城や寺社仏閣の石垣を手掛けました。 とのこと。彼らの視点から戦国末期(信長の本能寺直前から)を描くのだがこれがけっこう面白い。この日は京極高次とお初(お市の子ども3姉妹の次女)の話が面白かった。 京極高次は、近江源氏佐々木氏の流れをくむ名門・京極氏の出身である。京極家はかつて近江の守護大名だったが、浅井氏の台頭で衰退。 高次は豊臣秀吉のもとで家を再興し、大津6万石の大名となった。関ヶ原では、いったん西軍に加わり、約2000の兵を率いて出陣する。 ところが途中で西軍を離脱し、東軍へ寝返って大津城

