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薄田泣菫 森の声
自分は今春日の山路に立つてゐる。路の両側には数知れぬ大木が聳え立つて、枝と枝との絡みあつたなかに... 自分は今春日の山路に立つてゐる。路の両側には数知れぬ大木が聳え立つて、枝と枝との絡みあつたなかには、闊葉細葉がこんもりと繁つて、たまたまその下蔭を往く山番の男達が、昼過ぎの空合を見ようとしたところで、雲の影ひとつ見つけるのは、容易な事では無い。何といつても、承和の帝から禁山(とめやま)の御宣旨があつて以来、今日まで斧ひとつ入らぬ神山である。夏が来て瑞葉がさし、冬が来て枯葉が落ちる。落ちた木の葉は、歳々の夢を抱いて、その儘再び大地に朽ち入つてしまふ。かうして千年の齢を重ねて見れば、一体の山の風情が、そんじよそこらに出来合の雑木林と、趣を異にしてゐるのは無理もあるまい。大気は冷つこい。山の肌はいつも下湿りがしてゐる。ありふれた山では、秋でなくては嗅がれぬ土の香が、どことなくしつとりと漂つて来る。 大なるかな、春日の森。海原をつくり、焔の山をつくり、摩西(もうぜ)をつくり、鯨の背骨をつくつた大自