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おみそ汁
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私が発達障害の診断を受けたのは、2019年4月のことだった。仕事を休職してしまい、長年の自分の「謎」を解くために、以前から疑っていた自分の鍵穴に、「発達障害の診断」という秘密の鍵を挿しこんだのだった。 そこから私は発達障害支援センター「かがやき」の光岡裕之さんらにつながり、「かがやき」から京都障害者職業センターの安田泰子さんらにつながった。私は診断を受けてから初めて、発達障害に関する書物を読みはじめた。不思議な体験だった。新しく仕入れる他者に関する知識が、私の困りごとを説明していた。 (横道誠『みんな水の中』医学書院、2021) こんばんは。横道誠さんの本を読みはじめてからというもの、そこに書かれている知識が、これまでに出会ってきた教え子たちの、否、一部のユニークすぎる教え子たちの「謎」を説明しているのだから、不思議というか、シーク・アンド・ファインドです。村上春樹さんの小説と同じように、
「この短時間でわたしのどこに惹かれたのか教えてくれないか」 成瀬さんが俺の目を見て尋ねる。 「だれにも似てないところかな」 考える前に口から出ていた。少なくとも、これまで俺が出会ってきた女子の中に成瀬さんのような人はいなかった。成瀬さんは「なるほど」とうなずく。 (宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』新潮社、2023) こんにちは。この「だれにも似てないところかな」というのは言い得て妙で、読みながら「なるほど」と頷いてしまいました。少なくとも、これまで私が出会ってきた女性の中に成瀬さん(以下、敬称略)のような人はいません。「だれにも似てない」女性だったら、奇跡的に一人いますが。それはさておき、この「だれにも似てない」というエピソードをまくらに、クラスの子どもたちに成瀬のことを、小学校の卒業文集に「200歳まで生きる」と書いた成瀬のことを、《大きなことを百個言って、ひとつでも叶えたら、「あの人
斎藤 なぜポリフォニーがよいのか。ポリフォニーは隙間、余白が多いのです。ポリフォニーの対義語にあたるのがハーモニーと言われます。ハーモニーの場合は、一つの調和した意見が全体を支配するという状況で、一見すごく満足度が高いように見えますけど、実際には余白がなく、個々人の意見も微妙に抑圧されてしまっていることが多いと思います。「本当はちょっと違う気もするけど、一体感の気持ちよさに水を差すのもなんだから」みたいな妥協、譲歩があり得るでしょう。ポリフォニーのほうがはるかに隙間が多くて、その隙間において当事者は自分の主体性や自発性を回復するとされています。 (横道誠、斎藤環、小川公代、頭木弘樹、村上靖彦『ケアする対話』金剛出版、2024) こんばんは。ハーモニーというタイトルの学級便りだったり、学年便りだったりを、過去に何回か目にしたことがあります。特段、違和感があったわけではありません。しかし、上記
子どもたちにとって学校がより良い場になることを願う団体や、学校を支援したい、学校と協働したいと考えている団体はたくさんあります。校内や教育委員会内のリソースだけで何とかしようとせず、ぜひ外部のリソースをうまく活用してください。 (吉村春美『みんなが「話せる」学校』学事出版、2024) おはようございます。給特法には手をつけないそうです。現状の枠組みを維持したまま、教員調整額を少しだけアップさせてお茶を濁すそうです。中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の委員さんたちが話し合っているという、教員の待遇改善に向けた「素案」の話です。斎藤ひでみ(西村祐二)さんによれば、それはずっと主張してきた「最悪の結末」とのこと。最悪の結末が何を意味するのかといえば、それは、 長時間労働の放置です。 この問題、「調整額を4%から10%にしますでシャンシャン!」に済ませたら、おそらく「今後、50年は変わりません
「私ね、人生をちょっとゆったりと長めに考えるようになったの。ここで一区切りして、ドロドロした広島の政界とも、距離を置きたいなって。ホントは私、(昨年春に)県議を辞めて、ミラノにファッションの勉強に行こうと思ってたんです。でも参院選に出ることになっちゃったんだよね。だから私、自分が消費されているなって感覚があったんです。要は、岸田(文雄)さんと管(義偉)さんの覇権争いがあって、岸田派と二階派の争いがあって、検察と官邸の対立もあって、私はその中で『消費される対象』として擦り減っちゃった。だから、これから自分を取り戻したいっていう気持ちがある。私、今までは、世の中のためになるかどうかという尺度だけで、仕事も生活も測ってきたんですよね。自分がやりたいとかじゃなくてさ。でも、これから時間ができたら、小説を書くことに没頭したいと思っていて、正直な話ね。まだまだ未熟なので、(筆力)を磨いていきたいと思い
それにしても、10歳から明石市長を目指していたとはすごい。 泉 はい。冷たいまち・明石を優しくするのが自分の使命だと思い、そのために生きていこうと心に決めたのです。東大受験のための勉強中に眠くなっても、「今、寝てしまったら救える人も救えなくなる」と本気で考えてました。自分には使命があり、その使命を果たすためには「受験ぐらい通らなあかん」と。 (泉房穗『政治はケンカだ!』講談社、2023) こんにちは。小学5年生のときから明石市長を目指していたとはすごい。子どもたちにも伝えなければ(!)と思います。特に、受験産業に踊らされ、偏差値に踊らされ、使命感どころか優越感を得るために受験勉強をしているのではないか(?)と見受けられる一部の子どもたちには必ず伝えなければ(!)と思います。受験ができるという恵まれた家庭環境で育っているのだから、 使命感をもたなあかん、と。 春に百花あり(2024.4.7)
一対一の対話は、たしかに既に「ダイアローグ」なのです。でもオープンダイアローグとしては不充分なんです。ひとつの声でもふたつの声でもなく、多数の声が響いてほしい。というのも、声がふたつだけならハーモニーを奏でやすく、つまり調和しやすく、結果的にモノフォニーとなってしまうからです。大切なのはポリフォニー、複数性の共存です。 (横道誠『唯が行く!』金剛出版、2022) こんばんは。ニューロマイノリティー(神経学的少数派)の横道誠さんらしい見方・考え方だなぁと思いつつ、教室につくっていかなければいけないのもポリフォニー、複数性の共存だなぁと、続けてそう思いました。教室だけでなく、職員室も然りです。不登校が増えているのも、教員の精神疾患が増えているのも、もしかしたらポリフォニーという概念の暗示すらなくなってきたことが原因かもしれません。目指す児童像とか、教員に求められる資質能力とか、なぜ「複数性の共
ADHDがあると、無軌道な人生を爆走する傾向があるが、自閉スペクトラム症者には規範意識が強いという逆向きのベクトルが備わっている。結果として、支離滅裂な日々を送りながら、不思議なくらいマジメという謎の人生が出現してくる。私も全くそういう人間なので、ラガーさんには深く共鳴する。 (横道誠『ひとつにならない』イースト・プレス、2023) こんばんは。「全く」ではないものの、私も意外とそういう人間なので、特に《支離滅裂な日々を送りながら、不思議なくらいマジメという謎の人生が出現してくる》というところには深く共鳴します。で、マジメにとって、4月1日はしんどい。知らない人たちがやってきて、職員室の雰囲気が変わるからです。とりわけ本年度は、ガラッ。 しんどかったなぁ。 直感として、どうあがいても、ひとつにはなれそうにありません。4月1日について語るときに僕の語ること。真の発達は、別れた女と、払った税金
やさしさの一人相撲から、二人相撲へ。 あなたと私が関わることで、私自身が変容する。私自身が救われることになる。 そんな理路を、一緒に進んでいってもらえたら。 (近内悠太『利他・ケア・傷の倫理学』晶文社、2024) こんばんは。昨日、勤務校のお別れの会があり、何人かの同僚が職場を去って行きました。花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。とはいえ、 寂しい。 そんなふうに思えるのは、近内悠太さんいうところの理路を、パーシャルとはいえ一緒に進むことができたからかもしれません。あなたと私が関わることで、私自身が変容する。マルティン・ブーバーの『我と汝』を想起させるこの理路を、クラスの子どもたちにも進んでいってもらえたら。ケアが混ざり合う教室で、変わっていってもらえたら。 嬉しい。 利他・ケア・傷の倫理学 作者:近内悠太 晶文社 Amazon 近内悠太さんの『利他・ケア・傷の倫理学』を読みまし
ガンディーの「不在」は多くの評論家やメディアが気になったようで、S・S・ラージャマウリ監督にこの点を問い質している。たとえば米誌『ニューヨーカー』は彼へのインタビューで、「スバース・チャンドラ・ボースやバガト・シンのような歴史的人物を目立たせる一方で、ガンディーやアンベードカルといった非暴力の革命指導者を意図的に外したのではないか」という問いを投げかけている。これに対してラージャマウリ監督は「その質問に答えるのはうんざりしていますよ」と前置きした上でこう語っている。 (笠井亮平 著「『RRR』で知るインド近現代史」文春新書、2024) こんばんは。この「問い」は、上映当時、私の近辺でも話題になっていました。なぜ、映画『RRR』のエンディングで紹介された《フリーダム・ファイター(自由の闘士)》の中に、インドの国父であるマハートマ・ガンディー(1869ー1948)が含まれていなかったのか。 w
発達障害の診断を受けてから、当事者研究(自分の疾患や障害を仲間と共同研究することで、生きづらさを軽減させる精神療法)に取りくんだ僕は、本書を書きながら、自分に何が起こっていたのかを、遅ればせながら理解できるようになっていった。当事者研究の知見を利用した紀行の執筆。だから、この書は「当事者紀行」とも呼ぶべき新しいジャンルの可能性を開いている。ここに、本書の人文書としての最大の意義があるだろう。 (横道誠『イスタンブールで青に溺れる』文藝春秋、2022) こんばんは。バンコクのカオサン通りで出会い、ノーンカーイまで旅を共にした学生さんが、実は発達障害だったということを帰国後に知り、たしかに変わっていたなぁと思ったことがあります。新聞にデカデカと出ていたんですよね、その彼が。学習障害乗り越え、東北大学大学院に合格って。おそらく限局性学習症(学習障害)以外の神経発達症(発達障害)も併発していたので
僕は従来からフランクルには強く共鳴し、論文を書いたこともあるし、『唯が行く!』で当事者研究の思想的源泉として解説した。苦悩することによって人生は輝きを増す、苦悩することそのものに「体験価値」があるというフランクルの思想は、苦悩だらけの僕の人生を優しく照らしだす陽の光だった。フランクル自身が、強制収容所の生き残りということが、自然に尊敬の念を感じさせる。 (横道誠『ある大学教員の日常と非日常』晶文社、2022) こんばんは。昨日は卒業式でした。PTA会長の祝辞、よかったなぁ。若かりし頃の苦悩を、その後の輝きとともに物語ってくれて、ある大学教員の言葉を借りれば、まさに卒業生のこれからの人生を優しく照らしだす陽の光だったように思います。発達界隈の人たちのこれまでの人生を優しく照らしだす、横道誠さんの本のように、です。 体験価値って、大事。 生シラス(2024.3) 占いみたいなものじゃない? 卒
僕は、毎日のように全国の学校で講演させてもらっている。 そんななか違和感を抱くのは、今の日本の小学校の先生たちの驚きを隠せないほどの「仕事量の多さ」だ。 通知表だって、とても大変な仕事のはず。 「当たり前のようにある」「これまでもそうしてきた」という先入観を取っ払い、なくすことができたなら、子どもたちはもっと勉強が好きになるかもしれないし、そうなれば、親たちもガミガミ言わずに済むはず。 (谷口たかひさ『シン・スタンダード』サンマーク出版、2023) おはようございます。引用は、本の表紙に「デンマークでは通知表禁止?」と書かれている、谷口たかひささんの初著書より。試しに ChatGPT に「小学校の通知表を禁止、あるいは制限している代表的な国を5ヶ国教えてください。その理由も教えてください。学級通信に掲載したいので正確に教えてください。」と入力すると、次のように出てきます。 1. フィンラン
確実に言えることは、大江がいなければ村上は存在しなかったということだ。そして、村上が大江を否定しながらサンプリングすることで、村上は村上になることができた。ふたりの「魂」はあまりにも近すぎて、年少の作家として出発した村上は、自分が自分になるために、己に似た「魂」を否定せねばならなかった。 (横道誠『村上春樹研究』文学通信、2023) こんばんは。確実に言えることは、小学校の教員の年度末の仕事量は異常ということです。村上春樹さんの作品をサンプリングすれば、 やれやれ。 そうつぶやきたくなります。が、正直なところ、やれやれどころではありません。夜遅くに通知表の所見を書いていると、どこからか「書くんだよ、とにかく書き続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい(?)。書くんだ。書き続けるんだ。何故書くかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。通知表の所見に意味なんてもともとな
勤めていた会社を辞めてから、早くも二年が経過した。今のところ心身(肛門以外)共に健康に過ごせているが、兼業生活に戻りたいな、と思うことがしばしばある。それはお金のためでも、社会とつながるためでもなく、単純に、会社勤めをしていたころのほうが「よし、小説書くぞぉ~~~!!!」という気持ちになることができたからだ。家に帰ったら、週末になったら、思いっきり小説を書くぞぉ~~~!!! と、自然にエンジンがかかったのである。「仕事として、生活のために小説を書く」ではなく、「娯楽として、一息つくために小説を書く」状態だったあのころは、時間の余裕こそなかったが、書いているときの幸福感はとてつもないものがあった。 (朝井リョウ『風と共にゆとりぬ』文春文庫、2020) おはようございます。昨日は土曜授業でした。給食なしの午前授業だったので、午後は教室にこもって通知表の所見を書く予定でしたが、とてつもなく疲れて
その途上のインドで、私は人生が変わるような体験をした。ある朝、親しくなったインド人に屋台に連れて行かれ、そこで食事をご馳走になった私は、気がつくと身ぐるみ剥がされて道ばたの下水道に横たわっていた。どうやら飲食物に睡眠薬が混入されていたようだった。幸い、パスポートは腰に巻き付けていたベルト状の小袋の中に残されており、ブーツの内底に縫い込んでいた100米ドルほどのトラベラーズチェックが無事だったため、なんとか旅行は続けることができたが、その後は心身が優れない状態が長く続いた。 そんな乞食同然になった日本人の若者にも、インドやネパールの人々は限りなく優しかった。 (三浦英之『涙にも国籍はあるのでしょうか』新潮社、2024) こんばんは。バックパッカーだったときに私も似たような経験をしたことがあるので、思わず引用してしまいました。マネーベルトの中に隠しておいたトラベラーズチェックの有り難さといった
「探究」の時間は、いつもこんな具合だ。ミノルはいろんなクラスメイトにつきあわされて、ある意味では「モテる」。じぶんが好きなものをなんでも探究して良いというこの時間、クラスメイトたちはよく、いろんな外国語を身につけるために練習に耽っている。外国語が好きな子たちは、とても熱心にやっている。しかしミノルにはどうも外国語学習はピンとこなかった。 (横道誠『海球小説』ミネルヴァ書房、2024) おはようございます。1ヶ月くらい前でしょうか。ゲンロンの告知を見て、めちゃくちゃピンときたんですよね。普段の授業に加え、6年生を送る会もあるし保護者会もあるし通知表の所見も書かなきゃいけないしで、その週はブログが書けなくなるくらい忙しくなることはわかっていましたが、猪瀬直樹さんと東浩紀さんが対談するっていうんです。二人の大ファンとしては、申し込まないわけにはいきません。 いざ、東京へ。 ゲンロン「日本は『訂正
当事者批評は、患者の側が作品論ないし作者論をおこなうことで自己の体験世界を表明する点で、「逆病跡学」と位置づけられると考える。本書は、そのようなものとしての当事者批評を、論集のかたちで実践し、筆者の体験世界を改めて立ちあげていく。それはどのような体験世界か? 筆者が、さまざまな創作者をじぶんの分身と見なし、慰められ、生きる勇気を与えられてきたという体験世界だ。 (横道誠『創作者の体感世界』光文社新書、2024) おはようございます。先週、出張先の小学校で60歳の担任の先生の授業を参観する機会がありました。出張に行くと通常業務が全方位的に滞りまくるため、心の底から行きたくなかったのですが、「人生とは、計画されたこと以外のことが起こる、別の出来事のこと」とはよく言ったものです。 この先生と、飲みたい。 コミュ障の私にも、そう思わせてくれる先生だったんですよね。で、授業後に声をかけて少しお喋りし
「ニューロマイノリティ」がタイトルである本書の読者のみなさんにこんなことを言うのは野暮な話かもしれません。ですがあえて言わせていただくと、ニューロマイノリティな人たちへの支援や教育がなすべきことは、多数派の平均値である「定型発達」に、なんとか近づけようとすることでは決してありません。このことを理解したうえで支援や教育に携わっておられる方は、以前よりずいぶん増えたように思います。ですがもっと踏み込んで、「では何を目指して取り組めばいいのか」については、あまり明確に語られてこなかったのではないでしょうか。本稿で述べたような「成熟した発達障害成人」についての議論は、そういった状況に風穴を開ける視点であり、支援や教育における理解の解像度を飛躍的に高めてくれるものであるように思います。 (横道誠・青山誠 編著『ニューロマイノリティ』北大路書房、2024) おはようございます。ここしばらく横道誠さんの
まわりに合わせないといけない、それなのにまわりの子のようにはうまくできない、という場面を多く経験するのが発達障害の子どもですから、イベントに参加するのが苦痛だと感じることも多いです。 たとえば運動会は部分参加を、マラソン大会は欠席または別の種目への振り替えを認めてもらえていたら、どれほどありがたかったでしょう。学芸会の演劇やダンスも苦痛でした。裏方として活躍するのに専念させてもらえたら、どれだけ楽しかったでしょう。じぶんの体を使って表現するのではなくて、じぶんの芸術熱を駆使して創作や演出を、衣装や装飾の用意をやりたかったのです。 「みんなが同じようにやらなくてはならない」という教育は有毒だと思います。 (横道誠『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』大和書房、2023) こんにちは。昨夜、同僚と二人でもと校長の誕生日をフライング気味に祝いに行ったところ、その校長さん行きつけのお店で、手羽先が
横道 私は、やっぱり健康な人との会話が難しいと感じます。基本的に「絶望」マインドだからでしょうね。 発達障害のない人向けの自助グループもやってるんですけど、ありがたいことにというか、参加者はみんな鬱傾向なんですよね。鬱っぽくなって、精神疾患の診断を受けたり、困っているのにお医者さんに助けてもらえなかったり。心理士(心理師)やカウンセラーとの関係もうまくいかなかったりで、困りに困って自助グループに流れてくる。みんな心を病んでいる。私は、そういう人たちが好きです。 頭木 それはわかります。 横道 むしろ鬱傾向がなかったら、話が通じない。なかなか話したくもならないです。だから頭木さんと話してると楽しいなと感じます。 頭木 ありがとうございます(笑)。 (横道誠、頭木弘樹『当事者対決!心と体でケンカする』世界思想社、2023) こんばんは。一昨日の夜、例によって年休を大胆に駆使して、横道誠さんと代
発達界隈では、カモフラージュは「擬態」という名で広く知られてきました。海外の研究では自閉スペクトラム症のカモフラージュばかりが目立って注目されていますが、発達界隈では擬態は発達障害者に広く見られるものだと認知されています。 (横道誠『発達障害者は〈擬態〉する』明石書店、2024) こんばんは。先週、贈与論で知られる近内悠太さんの連続講座に参加したときに、横道誠さんのことを初めて知ったというか認識しました。 発達障害者は〈擬態〉する。 横道さんの本を紹介するかたちで、近内さんがそう口にしたんです。驚きました。コミュ障なのに講座の最後に挙手して質問してしまうくらいに驚きました。発達障害者が〈擬態〉するだって(?)。いくら何でもそんなことはないだろう、という驚きです。自閉スペクトラム症だったり、注意欠如多動症だったり、そういった障害に典型とされるいくつもの症状を惜しげもなく披露し、私を困らせてき
スクーターで地べたに這いつくばるような格好でのんびり走っていると、地面には親しみが出る。見慣れぬ景色も食物も、酒も空気も、なんの抵抗もなく素直に入って来る。まるで子供の時からヨーロッパで育った人間みたいに。美人もよく目についたが、気おくれなど全然感じない。大げさに言えば、美人が皆ぼくのために存在しているようにさえ思えた。音楽に対してもそうだ。自然の中での、人間全体の中での、また長い歴史の中での音楽が素直に見られるようになった。 これはぼくにとっては大きなプラスだ。貨物船とスクーターで旅行をしたのは、いろんな意味でよかったと思う。 (小澤征爾『ボクの音楽武者修行』新潮文庫、1981) こんばんは。先週、雪が降ったときに自宅の庭木数本が柳のようになってヤバイ感じだったので、今日は脚立に上って朝から昼すぎまでせっせと剪定作業をしていました。正直、重労働です。地面には親しみが出るものの、ボクの剪定
もう生きられないほど苦しいという人がいるなら死なせてあげたい、そういう人のために安楽死を合法化してあげようと考える人たちが善意であることは疑わない。けれどひとりひとりの善意が集まって世論を形成し、その世論の勢いに押されて(乗じて?)制度となった(された?)ものは、人々の善意とはまた別のダイナミズムによって動き始める。安楽死という選択肢をもった社会は、政治や経済やその他もろもろの思惑を孕んだ力学によって、当初の善意からも意図からもかけ離れたところへと動かされていくのだ。そのリアルなリスクを、本書の「大きな絵」から感じてもらえればと思う。 (児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』ちくま新書、2023) こんばんは。第一次産業から第二次産業へと「大きな絵」が描きかえられたときに「身体障害」という言葉が人口に膾炙したという説と、第二次産業から第三次産業へと「大きな絵」が描きかえられている今
息子が生まれた日が雨だったから、ぼくは雨の日が好きなのだ。いまでも雨の日に一人で車を運転していると、息子が生まれた日のことを思い出す。ブレーキランプに照らされたフロントガラスの赤い雨粒が、ぼくにとっては思い出だ。今日は雨だけど、雨の日は何年たっても今日のことを思い出せるんだよと伝えた。 (幡野広志『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』ポプラ社、2023) こんにちは。先日、オリパラ教育のプロフェッショナルを授業に招き、ネット型ゲームを楽しみました。総合的な学習の時間と体育をメインに、昨年度からずっとかかわっている大学の先生です。いい意味で、子どもたちもすっかり「友達」感覚。やはり、継続に勝る人間関係はありません。そして、人間関係に勝る教育効果はありません。すなわち、推移律でいえば、継続に勝る教育効果はないということです。 こんな体育はイヤだっていう体育はある? ネット型ゲームに入
映画スターの銀四郎と、その弟子でスタントマン専門の大部屋俳優ヤス、そして銀四郎と同棲して彼の子をはらみ、ヤスに押しつけられてその妻となる女優の小夏。ヤスとともに暮らすようになってからも、銀四郎と小夏は会いつづけている。 彼らの関係が特異なのは、少なくとも男二人に関する限り、彼らはこの三角関係を解消したいとはどうやらひとつも思っていないということだ。 (つかこうへい『蒲田行進曲』角川文庫、1982) おはようございます。電車は動いているのだろうかと心配ですが、これを書き終えたら出発します。それにしても、昨日はよく降りました。授業中にもかかわらず、子どもたちは「雪だ」「綺麗」「食べたい」「汚いよ」と大喜び。 綺麗は汚い。汚いは綺麗。 つかこうへい 著『蒲田行進曲』読了。82年の直木賞受賞作。バキーッと殴られて、そりゃ痛いよ。だけど心の中に『蒲田行進曲』のメロディ流してさ、「ウッ」とふんばるんだ
茂木 弔いの形もそうですが、教育もそうですよね。アクティブラーニングとか探究学習とかいろいろ出てきていますが、日本の伝統的な漢文の「素読」などの学習法とうまく接ぎ木できていないような気がします。 東 人間関係を学ぶところが学校しかないことも問題でしょうね。日本では家も地域もコミュニティも解体されて、残っているのは学校だけです。僕は、いま日本で起きているさまざまな問題は、子供時代に経験した学校だけが人間関係や上下関係のモデルになっていることに起因していると思います。 (養老孟司 × 茂木健一郎 × 東浩紀『日本の歪み』講談社現代新書、2023) こんばんは。知人に誘われ、今日は応用演劇のワークショップに参加してきました。講義と実践の二本立てです。講義の冒頭、応用演劇に注目が集まるようになったのは、社会で人と関わりながら生きていくことを学ぶ(経験する)機会が減少しているから、という話がありまし
医者には向いていないと自覚し、作家になろうと思い定め、生活費を得るために教師の資格をとって教職についた。知的障害児の教室で教える仕事も引き受けて、この教室で、あの少年と出会った。授業のあと、少年はキイス先生のもとにやってくるとこう言った。「先生、ぼくは利口になりたい。勉強して頭がよくなったら、ふつうのクラスに行けますか」この言葉が『アルジャーノンに花束を』をこの世に送り出す大きなステップとなった。 (ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』ハヤカワ文庫、2015) こんばんは。引用は、訳者である小尾芙佐さんのあとがきより。教員だったんですね、ダニエル・キイス(1927-2014)は。読み始めたときも、読んでいる途中も、読み終えてからも、教員こそが読むべき一冊だ(!)と感じていたので、俄然、親近感が湧きます。Wikipediaで調べたところ《ニューヨークの高校で国語教師を務めつつ、定時制で
藤原 最近、日本の小学校で児童一人につき一台、タブレット(電子端末)を配っている、と聞いたときは目の前が真っ暗になりました。教科書をなくす第一歩と思います。小学生から教科書も読まず、自由にタブレット画面に没頭させたら、本の世界に対する憧れなど生まれようがない。「本嫌いの子供を量産する」という亡国の教育に、文科省も教師も親も命懸けで邁進しているのです。 (藤原正彦『スマホより読書』PHP文庫、2023) こんばんは。先日、クラスの子が山岡荘八の『徳川家康』を読んでいて驚きました。全26巻。世界最長の小説のひとつとして「ギネスブック」に認定されている超大作です。聞くと、父親が山岡荘八のファンだそうで、クリスマスに全巻買ってもらったとのこと。さっそく山岡荘八の甥っ子の娘さんにそのことを伝えたところ、「すごい小学生!」「私も読んでいないのに」と返ってきてちょっとうけました。そうか、 読んでいないの
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