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「延暦寺焼き討ちの織田信長は無心論者」はウソ! 中世の僧侶が導いた“神仏冒涜”正当化の驚愕ロジック
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「延暦寺焼き討ちの織田信長は無心論者」はウソ! 中世の僧侶が導いた“神仏冒涜”正当化の驚愕ロジック
延暦寺の焼き討ちで知られる織田信長。 日本の中世において、織田信長の延暦寺の焼き討ちをはじめ、寺社... 延暦寺の焼き討ちで知られる織田信長。 日本の中世において、織田信長の延暦寺の焼き討ちをはじめ、寺社に対する焼き討ちが行われていたことはよく知られている。しかし、それは神仏への信仰心がなかったから「ではない」――とする研究書が刊行された。 稙田誠著『中世の寺社焼き討ちと神仏冒涜』(戎光祥出版)では、この寺社焼き討ちに対する論理の解明が試みられているのみならず、神仏を拝み倒し、しかしそれでも願いが聞き入れられないと判断した人々が神仏を冒涜し、さらには「これだけ祈願したのだから応えて当然だろう」と神や仏を恫喝までした中世人の姿が描かれている。神仏の存在や力を信じているのに、焼き討ちしたり、脅したりするとは一体どういうことなのだろうか? 著者の稙田氏に訊いた。 稙田誠著『中世の寺社焼き討ちと神仏冒涜』(戎光祥出版) 本気の祈願に応えない神仏を恫喝する ――信長が寺社の焼き討ちをし、父親の葬儀の席で