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東寺 言葉だけではたどりつけない世界 立体曼荼羅 - こうへいブログ 京都案内と文章研究について
ただ一度だけの炎上 延暦13(794)年、桓武天皇は京都遷都にともない、羅城門を挟んで二つの寺、東... ただ一度だけの炎上 延暦13(794)年、桓武天皇は京都遷都にともない、羅城門を挟んで二つの寺、東寺と西寺の建設を命じました。 平安京を守護するための官寺として建立されたのですが、外国からの来賓客の宿泊に主に使用されていました。 そして東寺のほうは、建立から30年たった嵯峨天皇の時代に、空海すなわち後の弘法大師が真言密教の根本道場として朝廷から賜ることになるのです。 西寺は律令制度の崩壊とともに、その後、姿を消しました。 一方で、東寺は創建当時の姿をほぼ今でも留めていて、火事を繰り返す京都の歴史のなかで、東寺が火災にあったのはただ一度だけです。 それは足利政権が統治力を維持出来なくなっていた文明18(1486)年のことなのですが、土民、地下人とよばれる民衆たちの武力蜂起による土一揆によるものでした。 この頃、東寺などの京都の大寺院は守護不入という特権を持っていたために、徳政一揆は境内を本拠
2022/01/09 リンク