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空海の足跡 高野山から東寺へ そんな遠くに行かんかて - こうへいブログ 京都案内と文章研究について
絶賛された目録 唐から帰国していた空海が、やっとのことで、なんとか都にある高雄山寺(神護寺)に入れ... 絶賛された目録 唐から帰国していた空海が、やっとのことで、なんとか都にある高雄山寺(神護寺)に入れたのは、大同4(809)年のときでした。 空海は、国から20年の留学を命じられていたのにもかかわらず全く聞き入れないで、わずか2年で唐から帰国したために、帰国後、すぐに都へ入京する許可が得られなくて、3年もの間、諸国をさすらっていたのです。 でも、唐から持ち帰った密教の法具や経典は非常に貴重で魅力的なものであり、その「請来目録(しょうらいもくろく)」は朝廷にすでに提出されていました。 日本天台宗の開祖である最澄がこの目録を絶賛したこともあって、ついに、朝廷が空海の入京を許可することになるんですね。 さらに、嵯峨天皇が屏風の揮毫を空海に依頼したのをきっかけに、天皇と空海の間には友情のような信頼関係が結ばれることになります。 空海が入京を許されたのは、平城天皇に変わって嵯峨天皇が即位された後のこと
2022/04/17 リンク