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応天門の変 不可解な謎に満ちた難事件 - こうへいブログ 京都案内と文章研究について
平安京のシンボルといわれた朝堂院。平安宮の中心となる建物でしたが、その正門があの応天門です。 ここ... 平安京のシンボルといわれた朝堂院。平安宮の中心となる建物でしたが、その正門があの応天門です。 ここで起きた応天門の変は、日本史上有数の不可解な謎に満ちた政治的疑獄事件と言われています。 また、明治28年に平安遷都1100年を記念して建立された平安神宮では、規模は三分の二ほどのものながら、その応天門が精密に復元された姿を見ることが出来るんですね。 応天門 炎上 貞観8(866)年3月の夜、応天門は焼失します。 これには放火の疑いが持たれ、はじめに犯人だと思われたのが左大臣の源信(みなもとのまこと)でした。 平安宮の応天門というのは、大伴氏という有力氏族が資力と労力を出して造営し献上したもので、「オオトモ」の音に通じて「応天」とされました。 大伴氏にとって応天門は、まさに氏を象徴する「氏の門」という信仰を持つものであり、それを焼くということは大伴氏を呪うことに等しい行為です。 だから犯人は、大
2023/01/15 リンク