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自己責任とは「なにが起きても他人(ひと)のせい」のことである。 - モモログ
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自己責任とは「なにが起きても他人(ひと)のせい」のことである。 - モモログ
他力で生きる町内会 午前6時起床。浅草はくもり。「他力」で生きる、というのは意外と難しい。もちろん... 他力で生きる町内会 午前6時起床。浅草はくもり。「他力」で生きる、というのは意外と難しい。もちろんそれは親鸞の言った〈他力本願〉ではなく、もっと俗世的に、「ひと任せ」「他人依存」「成り行き任せ」の意味でである。 それは「自己責任」が強調される中で、その対極の生き方として非難されてきたけれど、この生き方を徹底するのは、ほぼ不可能なことでしかない。なぜならそもそも「他力」で生きる、と決めたのは自分なのだから「他力」は「自力」な生き方なのである。だから「自己責任」で生きろ、等といわれなくても、「他力」で生きている(町内会的な)あたしは、最初から自己責任で生きているのである。 なにが起きても他人(ひと)のせい。 一方「なにが起きても他人(ひと)のせい」というのは「他力」ではない。それは自分を守ろうとする一時避難行動のようなもので、そこで保護している自分とは「自我」なのである(だから緊急避難的=自我