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傑物の至言-47 安部公房 - 波尾の選択 傑物たちの至言に触れて
日本では、あの作品の批評で、ラストが“希望のはじまり”と受けとるものがあった。しかし、そういう次元... 日本では、あの作品の批評で、ラストが“希望のはじまり”と受けとるものがあった。しかし、そういう次元で割り切られたら困るんだなあ。 もし、そんなふうに割り切れてしまうのなら、文学の世界、その存在理由が意味をもたなくなるじゃないか。小説はいらなくなり、批評だけあればいいのではないですか。 文学は自分に必要なのか、なぜそうなのか、という問いは、常に発せられる必要がある。しかし、それは答えをすぐ出すことのできることではないし、答えたとたんに意味がなくなる。けっして答えは表に出てこないはずです。 「国家からの失踪」(1967年)より 引用文の冒頭「あの小説」とは代表作『砂の女』のこと。 文学者、小説家は批評家じゃない。 これは52年経って、ますます重要な言葉だ。 砂の女 (新潮文庫) 小説、映画などの「筋、ストーリー」と皆が呼ぶものは謂わば「粗筋」だ。 ましてや昨今の「泣ける、勇気・元気を貰った」と