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「蜀」の丞相ではない、「漢」の丞相諸葛亮である。 - 歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜
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「蜀」の丞相ではない、「漢」の丞相諸葛亮である。 - 歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜
蜀は魏の言葉だ。 蜀とか蜀漢とかは正当な名前ではない。 彼らが名乗った正式な名前は、 「漢」である。... 蜀は魏の言葉だ。 蜀とか蜀漢とかは正当な名前ではない。 彼らが名乗った正式な名前は、 「漢」である。 蜀を漢に書き換えて、 いわゆる蜀漢を見直すと印象が大きく変わる。 漢に直して歴史上の出来事を文章にしてみる。 「漢の丞相諸葛亮は、漢皇帝劉禅に出師表を上疏、 魏賊に対する征伐を表明する」 「漢の天子劉備は 孫権の背反を罰する為に荊州に遠征した。」 「漢の丞相諸葛亮は魏を討伐する。」 「夷陵の戦いの後、漢は呉の孫権と修好し、同盟を結んだ。」 「漢は魏から攻撃を受けた。総大将は曹真。 曹真は褒斜道、張郃は子午道、司馬懿は漢水沿いを遡って、 それぞれ三路から進撃。 漢の丞相諸葛亮は漢中の守りを固め 防御体制を取る。折しも長雨があり、 総大将曹真の進軍を阻む。 漢中に達しないまま、魏主曹叡が勅命で撤退を命令、 曹真たちは成果を得られないまま撤退する。」 全くイメージが変わる。 漢こそ、蜀こそ、正統