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狭山池が国史跡に 7世紀から現在まで利用「土木技術史上貴重な事例」
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狭山池が国史跡に 7世紀から現在まで利用「土木技術史上貴重な事例」
文化審議会で史跡として21日、文部科学相に答申された大阪府大阪狭山市岩室の狭山池。日本最古のダム... 文化審議会で史跡として21日、文部科学相に答申された大阪府大阪狭山市岩室の狭山池。日本最古のダム式のため池として知られ、市教委は「飛鳥時代に築かれ現代まで利用が続く、土木技術史上貴重な事例」としている。 狭山池は飛鳥時代の7世紀に現在の大阪狭山市の中央に築造され、その後1400年間、湛水(たんすい)・灌漑(かんがい)機能を維持してきた。 古事記や日本書紀にも登場し、奈良時代には僧の行基(ぎょうき)、鎌倉時代には重源(ちょうげん)、江戸時代には豊臣秀頼の家臣・片桐且元(かつもと)らが堤を改修したことで知られている。 平成の改修に伴う文化財調査では、水利・灌漑に関する土木遺構が数多く出土。西除川をせき止める北堤には、築造以来の改修工事の様子が積層になって残されていた。調査で出土した木樋、重源の改修碑は市内の府立狭山池博物館で保存展示されており、今年8月に国の重要文化財に指定されている。 吉田友