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やさしい研辰の討たれ その一 昭和初期の「研辰ブーム」 - 歌舞伎ちゃん 二段目
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やさしい研辰の討たれ その一 昭和初期の「研辰ブーム」 - 歌舞伎ちゃん 二段目
ただいま歌舞伎座で上演中の吉例顔見世大歌舞伎! 昼の部「研辰の討たれ」は上演の頻度は比較的低いもの... ただいま歌舞伎座で上演中の吉例顔見世大歌舞伎! 昼の部「研辰の討たれ」は上演の頻度は比較的低いものの、 大正時代の近代的視点が見える興味深い演目でありました。 せっかくですので、この機会に少しばかりお話してみます。 芝居見物のお役に立てればうれしく思います。 昭和初期「研辰ブーム」の必然 研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)は、 大正・昭和期の木村錦花が大正14年(1925年)の雑誌「歌舞伎」九月号に発表した読み物を、 錦花よりも20歳近く年若く脚色の活躍で知られている平田兼三郎(兼三とも)なる人物が、 一幕三場という実にちょうどよい尺の芝居として見事に脚色、 その年の暮れに歌舞伎座で初演されたものであります。 初演で守山辰次を勤めたのは二代目市川猿之助、のちの初代猿翁です。 この方は欧米へ演劇の視察の旅へ出たり中国で歌舞伎公演を行ったりと、 新たなことに数多く取り組まれた革新的な役者でありま