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とけちん, やっぱり,わしとだけでお勉強するのは無理があるゎ。 お前は泣くけれど,わしは,結論した。 今更やけど, 塾に行き。 時間を無駄にする態度が当たり前になってる。 それはお前をダメにしてるだけや。 そんな風になってしまうのが,やっぱり自宅学習だけでやっていくことの限界やな。 4年生で塾に行っていて,てんでダメやったからわしが引き受けたけど,マンネリ化してしもたな。 新しい刺激が必要や。 でもな,わしとのお勉強は無駄にはなってなかったみたいやで。 この時期には新たな入塾は基本的にできないようだけど,お前は今からでもBクラスには入れるみたいや。 お前も頑張ったもんな。 塾に行き。 最後にまとめてアドバイスしとく。 国語。 わしは国語,得意やったぞ。 しかもわしな,わしが書いた文章が入試の題材にもなってんで。 中学入試じゃなくて大学の入試問題やったけどな。 そんなわしが言うんやから,間違
合不合の結果を受けて,わたくしは,とけちんとのお勉強を続けていくべきか否か,深く悩むようになりました。 親子でお勉強を一緒にするというのは,やはり,相当難しいことなのではないだろうか。反抗期ではないけど(というか,生まれた時から反抗期だったけど(まぁ!かわいいこと)),親だと素直に聞けないこともあるんじゃないか。そんなこと,当たり前じゃないか。 真剣に教えようとすればするほど,こっちだって感情的になることもある。 人間だもの。真剣なんだもの。感情を殺してお勉強をするっぽい環境を作るなんて,不自然やもん。 塾に行かせたら良いんじゃないか。そのくらいのお金はある。家庭教師だって,付けてやることも出来る。 それがとけにとって,最善なのであれば,もちろん,すぐにそうする。そうするのが親の務めというものだ。 しかし,4年生で塾へ行っていて,成績は全く上がりはしなかった。宿題もしなかった。 学校の宿題
今週のお題「自己紹介」 娘が所用でお勉強を出来ないため,今週のお題というものの助けを借りて虚実取り混ぜて自己紹介を致します。 わたくしは,個性的でありたかった。いや,個性的であると呼ばれたかった。 何が個性的であるということなのかを正しくは理解できていなかったが,それが個性的であるということであると思い,思春期には,事理の性質・本質とするところなどを聞き回り,論じあったりして遊ぶいわゆる何々病に罹患した風を装ったりもした。何々病は通常幼児期から青年期に近づくほど重篤の度を増し,青年期には抽象的事象をその対象として弄ぶようになって精神的奇態の頂点を極めるものらしいが,わたくしも進んでそうであることをアピールした。自由っていったい何だ。愛っていったい何だ。 しかし,わたくしは個性的にはなれなかった。 いや,それ自体はどうでも良い。わたくしをひどく落胆させたのは,誰もわたくしを個性的であるとは言
先日,とけちんのことなんかもうわしゃ知るかい的な投稿(感じたことをそのまま書くのが趣旨なので,情けないことながらいくつか同旨の内容を書いていますが)がプチ炎上(?)しました。 ブログサイトのランキングに入り,アクセス数がいつもと桁違いになり,えらいこと手厳しいことばかり言われました。 ブログを(たまには(いや,いつも・・か))勢いに任せて書いてはいけないという法はないように思うけど,やっぱ,勢いに任せて書くと,背景をご存じない方にはツッコミどころ満載の格好のネタになったんでしょう。 ひー。怖かった。 とけちんはその現象に興味津々で,寄せられたコメントを見せろというのですが,いや,それは止めとこな。 見知らぬ人の悪意に満ちた言葉に触れるというのは,今する必要のない経験やで。 しかしとけちん,なかなか引かない。 どんなことが書かれてあるのか言えというので,父親失格とか,お前がだめになるとか,親
(すみません,中学受験には関係ありません・・) 友人に子どもが産まれた。 ので,名付け親になってくれと頼まれたわけではないが,勝手に考えをめぐらせた。 我が子の命名だけは個性的にやりたいと願うことは最近ではなかば当然視され,ガイコクジン風が今風であり,個性的であるということで(ガイコクジンは昔からガイコクジンやっておられるんでしょうけれどもね。),安土伶(アンドレ),彩門(サイモン),慕歩(ボブ),芽里依(メリー),瀬詩留(セシール),黎千留(レイチル)などというかわいらしい名前が没個性的な程度に(すみませんが,これは,事実の評価の問題であって,これらのお名前がかわいらしいということを否定するものでは全くありません。)見られる。 世界的に通用する名前にしたいという願いはもっともであるけれども,日本的というのも素晴らしい価値であり,それが今は一層ガイコクジン風に格好が良いのではないか。 そし
とけちんの受験指導に伴う激しい葛藤をやり過ごすべく,教材購入にいそしんできました。 こういう時には買物依存症になってやるぅ。 予習シリーズが我々の主要な教材であることに変わりはなく,ペースメーカーでもあるわけですが,春休みには色々集中特訓をやってみたいという先走った思いがありまして。 また,来週末に上京してくる良く出来少年塾生と一緒にやる教材も必要であるとの思いもありました。 事前にインターネットで下調べをし,でもやはり自分の目で見て選びたいという思いもあり,行って参りました。 この辺りではたくさんの中学受験用参考書が置いてある丸善・丸の内本店。 八重洲ブックセンターの5倍ほどものスペースが中学受験参考書に充てられている。 で,買い込んできました,合計20冊! 事前に購入を検討していたけれど,実物を見て見送ったものもあり,やはり,実物を見た方が良いなぁと思いました。 国語 国語の文章で答え
会社にやってきた娘を連れてのみに行き,酒飲んで戻ってきました。 ほんま,我が子ながら,いや,我が子だからか,腹が立って仕方がない。 態度が悪すぎる。 小学生がそのような態度を取ることによって自分の将来に大きな不利益を来すことを看過することは親の責任の放棄であるようにも思うけれども,一方で,これはもう,自業自得であるようにも思えてくる。 何か出来なかったり(場合分けで4の倍数を数えるのに下二桁の04を抜かしていたことを指摘されたり(今日は最初の10分でこれ。いつも場合の数は良く出来てはいるだろうが,01234のカードを並べて4の倍数が何通り出来るか。こういうのも含めて場合分けは,小さい数から書き出していって,それぞれに何通りあるかを出して,それを足す。そのやり方を学ぶのが今やるべきであって,それをおろそかにしたからケアミスにつながっているやろ?やり方をきちんとしないと複雑な条件整理は混乱する
2022-02-04 受験真っ最中 ぽーやん、まだ受験のただなかにいます。 今までがんばりました。 今もがんばっています。 明日も続くでしょう。 番号がなかったり。残念ながらみたいな表示がバンと出てきたり。 3年間の夢は一瞬にして夢であったと残酷な形で突き付けてきます。 こたえま… 2022-02-01 麻布に送り出す お勉強進行状況 麻布に送り出してきました。 朝からぷんすかしてましたが、まぁ、緊張でがちがちになるよりまし。 妙にハイテンションなのは普段通りにしようというぽーやんなりの苦肉の策か。 道すがら闘魂を注入しようかとか、わしの頭よさすな部分を注入しといてやろうか… 2022-01-21 幕張へ お勉強進行状況 明日は渋幕。 昨日で過去問もなくなったので(最後の過去問は届きませんでした。どうしても全部取ろうとしてミスが多発しちゃってる)、今日は渋々、巣鴨算数、甲陽算数。 秋ころか
今日も会社の会議室を借りて,こもりきり特訓中です。 まだまだスイッチが入っていないきらいのあるとけちん。 わたくしから見れば,あと1年もないのに,と思い,焦燥感に駆られるのですが,小学5年生にしてみれば,1年というのは人生の10分の1もあるわけですよね。 幼い子どもが,人生の10分の1もあれば何だってできるようになると考えるのも,自然なことであるとも思えます。 中学受験は人生の一大事だと言ったところで,それがどういうことなのか,本当に想像できる子どもの方が,むしろ少なくて当然でもありましょう。 行きたい学校と言ったってそんなに知りもしないし,構成員すら定まっていないまだ見ぬ将来のお友達の集合体からなる学校へ進む熱意なんて,具体的なものとして育つことの方がむしろ不自然であるかもしれません。 それでもわたくしは,とけちんにがんばって欲しい。本気を出してがんばって欲しい。 一昨日,昨日を無為に過
電流,苦手なコ,多いですよね。 うちのとけちんも苦手だし,周りのコも得意である,というコは少ない。 で,豆直分の乾直(乾電池直列を豆電球直列で割って電流を出し),並列部分をその逆数で合成抵抗を出し,直列部分と合わせて合成抵抗を出した上でその逆数で電流を出し,それを並列部分で抵抗の逆比で流す,というのをたーくさん問題を作って(もう,片っ端から回路図を書いていけばいいだけですからね)慣れさせていたんですが,どうもイマイチ。 整理された回路図で電流を求めることができても,ちょっと回路の書き方が違ったりするととたんに回路が頭の中で混線したりで,上記のような特訓だけではどうにも太刀打ちできない。 電磁石や電圧などもあるわけで,このままではいかん・・・ 何かいいのんないかと探しておりましたら,「テーマ別特訓ノート理科電流―国立・私立中学受験」というのが学研から出ていて,これがえらく評判がいいわけです。
昨日うちのとけちんと話をしていたら,あちこちで自分のことが書いてあるブログがあるんだとゆうてまわってるみたいで,ついには学校の先生にまで話したんだとか。。。 やめんか,恥をさらすようなモンやぞ。 ところでブログをお書きになっている方のお子さんはブログをご覧になっておられるんでしょうか。 とけはブログを読みたがり,(自分のことが良く書かれていると)喜んだり,(お友達のことが書かれていると)笑ったり,(本当のことが書かれていると)怒ったりしています。 要するに,ちゃんと文章を読んでいるわけです。 最近読解をやるのがちょっと速くなってきたと思っていたら,この現象は,ブログを読んでいることの効果・効用・効能が顕在化したのではないかと推測されはしませんでしょうか。そんなわけないか。。 しかし,とけちん,ことばの勉強の時や読解などの時よりも,ブログを読んでいる時の方が,「これ,どういう意味?」と聞いて
幼い子は中学受験には向かないと言いますが,そんなこと言われても。 そりゃ,読解の文章や社会事象への関心・理解度は,精神年齢が大きく影響することは分かりますけれども。 幼くったって,がんばらせて下さい。 幼いなりに,がんばればよろし。 昨日会社でお勉強しての帰り道。 昨年,サンタさんにもらったアタッシュケースに手紙を入れているんだというとけ(アタッシュケースをもらった経緯は秘密。このブログはとけも盗み見ている気配がありますから)が,去年,サンタさんは全部の願いをかなえてくれたという話をし始めました。 なので,ほんなら,今年はサンタさんに「合格」をお願いしななぁ,と言ったんです。 そしたらとけ,なんて言ったと思います? サンタさんには,「エール」をお願いしようと思う,というんです。 なんでなんで? エールもそりゃええけど,合格もろたほうが早道ちゃうん?といいましたら, とけちん,まぁ,なんて優
娘のお勉強を1年間見てきて,昨日はさすがに徒労感に苛まれ,今までわたくし何をやってきたんだろうか,何かとんでもなく阿呆のようなことをやっていたのではあるまいか,と嘆いているうちに,こんなん書いてました。立ち直るまで,ご容赦下さい。 またやってしまった。ぼくはいつもブームに乗り遅れてしまう。湾岸の帰路。ジョギングをする人の行列。今は,走ったりノニ酵素みたいなのを飲んだりしなければいけない健康ブームのさなかじゃないか。取り残される前に気が付いてよかった。でも,走るのは面倒だし,健康食品は高価だしなあ。ぼくに合っているのは,何かをしないというようなヤツかな。ダイエット系みたいな。ぼくはスマホを取り出した。 「しない系」健康法の代表格であり,健康法の王道でもあるのが,禁煙。残念だけれどぼくは煙草を吸わない。こんなことなら愛煙家になっておけばよかった。禁煙より信奉者はぐんと減るけれど,断食というのも
昨日は,わざわざ近所の公民館の部屋を借りて勉強しに行ったんですが,気が散るものはあまりなかったものの,本人のやる気とか姿勢とかがもう,中学受験まで1年を切った子のそれでは全然ない。 読解を2問やり,3問目の途中で,まだ時間はあったんですが,もうええわ,わしは帰る,と,帰ってきました。 中学受験をなめとる。なめんな。 学習するということを余りに軽く見ている。軽く見んな。 ちょっと,心の底から失望しました。 娘は,中学受験の厳しい勉強をわしが教えないのが悪いとか,理由にもならん減らず口をたたいていましたが,わしはもう,あ,そう,それはごめんな,というだけにしときました。相手にしたくもない。 娘は,いつもとは違ったわしの様子に,次から本気を出すと言い出しました。もう,何回も聞いたわ,その著しく気に触る言葉。おまえは本気だすだす詐欺やっとんのか。おもんないぞ。 がんばりたいのだとか殊勝なこともいい
ちょっと,過去問,やってみたんです。 偏差値50少しくらいのところ。 過去問がどういうものかチラ見させるつもりで。 少し自信や希望を持ってもらいたくもあって。 そうしましたところ,算数がほとんど全部解け(間違っているのが複数問ありましたけど),国語も時間内に解き終えて,まぁ,絶望的な点数でもなく,理社はまだ習っていない単元もあるから措いておくとすれば(という大甘な条件で。なんせ,自信と希望を持ってもらうのが目標ですから),とけ,合格点に達し,意気揚々としておりました。 調子に乗ってもっと過去問をやろと言い出しますので,いやいや,まだ早いねん。全部の単元を終えて,総復習を終えて,そこからやるねん過去問は。 ということで,おあずけしてます。 帰宅したママなどに,合格した,合格したとしきりによくできっ娘っぷりをアピールしておりました。まだ1年もあるんだから,どんな学校だって楽勝じゃないか,的なモ
うーん,ちょっと困ります。 とけ,算数の問題で,たまに,きちんとした考え方を踏まずに正解を出すことがあります。 算数を,「当てに行った」などとのたまいます。 どうやって解いたのかと聞くと,それは全然違う,だめだめなやり方であるわけです。 本人は正解なんだから文句あるかという顔付ですが,あほ!文句あるわぃ。 どうやって正解を出しているかというと,見当を付けて数字を仮定し,検算すれば正解であることも分かる,んだそうです。図形の移動の問題でこの方法を用いるとはある意味すごいですが・・ いやー,しかし,これは亜流にもほどがありますわ。 そういう荒業は(可能だとは思わないが)試験本番くらいにしとけ。 これは是正していただかなくてはいかん。 やっぱ,解法をきちんと確認することは重要ですね。 改めて思い知らされました。 にほんブログ村
娘の語彙教育のことばかり考えていましたら,こんなん書いてました。 一〇歳ほどの男児二人が睨み合っている。と,すごい剣幕で罵倒をし始めた。 「おい,こら,ションベン臭い青二才。妙ちくりんなアホ面下げて生き恥さらすな,すっとこどっこい。蹴ったくそ悪いわ,薄らトンカチ。しばき倒すぞ」 「調子こいて四の五のいうな,乳臭いがきんちょが。どの面下げて生意気いうてんねん。われのちんちくりんな間抜け面を鏡で見さらせ,虫酸が走るわ。どつき回すぞ」 「やかましい,がたがた抜かすな,洟垂れ小僧が猪口才な。愚図でのろまのトンチキチン。嘘つきいんちき人でなし。業突張りの札付きペテン師成り上がり。太々しいぞこの腐れ外道のならず者,鼻持ちならん厄介者。犬のエサにもならんわ,役立たず。つべこべゆうとったらはっ倒すぞ」 「いけしゃあしゃあとええ加減な戯言抜かすな素寒貧。ちゃんちゃらおかしいわ,ボケカス茄子。ひょうたん。むっ
俳句。正しく解釈しなければなりません。 これは,評論文は当然のこと,詩歌でも,小説でも,理解は正しくあらねばならず,自由に読んでよい,というのは,正しく理解した上で,人それぞれの感じ方をしても良い,ということです。 ここ,間違ってはいけません。 俳句や短歌が,やはり難しいですね,正しく理解するのは。 それは,作品自体が短いから,そこに描かれている情景以外の情景や心情を,日本人の「共通認識」で補う必要があるからです。そのためには,「共通認識」(風流を理解する心,といってよいでしょう)はキチンと学ばなければなりません。 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 柿を食べていたら,法隆寺の鐘が鳴っているのが聞こえた,というだけのことですが,ここに趣(風流)を感じなければならない。自然と感じられてくるのが普通なんですけど,小学生には難しいかもしれませんね。 季節は明示的には書かれていませんが,秋でしょうね。そう
こんばんは。 今回は,四谷大塚の組分けテストの範囲に,国語,社会ともに狂歌・川柳が関係してきますね。 とけちゃん,こういうの,覚えとき。解釈は,たぶん合ってる。たぶんやで。 狂歌 「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」 有名なやつやね。寛政の改革を皮肉ってるやつやな。白河ゆうんは寛政の改革を行った松平定信の領地やね。 寛政の改革より,その前の清濁併せのむような田沼意次のやり方の方が良かったんちゃうん?みたいな感じ。 寛政の改革を皮肉ったものとしては, 「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず」 ちゅうのもあるな。同じ人が作ったという説が有力らしいよ。 文武(ぶんぶ)というのは,蚊の羽音と,寛政異学の禁とかなんとかで,学べ武芸に励めとうるさいわい,というのを掛けてるんやね。寛政の「か」と「蚊」も音が同じになってるね。でも,当時,元号は寛政やったんやろう
はじめまして。 30年前に中学受験をした経験があります。仕事は忙しいです。 で,教育には無関心で,ママからは事実上の母子家庭であるなどとやゆされながら飲み歩く毎日を送っていましたが,何を思ったか,長女が新5年生になったのをきっかけに,受験指導にはまり込んで(こりゃ,私の趣味ですゎ)います。目指すは当然,御三家!!! 予習シリ-ズを全部(6年下まで。副教材も全部)買い込んで,予習に励んでいます(私が(なんせ,「没入型」なもので・・))。 四谷大塚の公開組分けテストをペースメーカーにして,Sコース相当になったら塾を併用しようと思っています。やっぱ,それぐらいになると,学友と切磋琢磨もさせなあかんでしょうから。それまでは父ちゃんが底上げしたる!その後も付きまとって一緒に過去問解いたりする予定ですけど。 おれ塾はよその子にも(は)これが意外と評判がよく,休日や休暇に勉強しにきてくれたりします。中で
とけ,努力へのモチベーション確認じゃー! 何かをなした格好いい人はみな,一瞬一瞬の努力の尊さを知っている! ●努力をすること,挑戦することの尊さ 私たちの人生は,私たちの費やした努力だけの価値がある。 フランソワ・モーリアック(フランスの作家・初のノーベル文学賞受賞者) 人生はどちらかです。勇気を持って挑むか,棒にふるか。 ヘレン・ケラー(アメリカの社会福祉活動家) 努力した分だけ自分に返ってくる。僕は「努力の天才」になりたいと思っている。 イアン・ソープ(オーストラリアの水泳選手) 天才とは99%の努力と1%のひらめきである。 トーマス・エジソン(アメリカの発明家) 失敗をすることは耐えられるが,挑戦しないでいることは耐えられない。 マイケル・ジョーダン(アメリカのバスケットボール選手) 私は特別な人間ではない。強いて言えば普通の人よりちょっと努力しただけだ。 アンドリュー・カーネギー(
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