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忽然と消えた「大和の日光」。跡形もなく消失した大寺院とは。廃仏毀釈(2)内山永久寺 - 歴史好きの大和徒然草子
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皆さんこんにちは。 明治維新とともに吹き荒れた廃仏毀釈の嵐。 前回は興福寺の荒廃と復興についてご紹... 皆さんこんにちは。 明治維新とともに吹き荒れた廃仏毀釈の嵐。 前回は興福寺の荒廃と復興についてご紹介しました。 さて、現在奈良の有名で大きな寺院といえば、皆さんどういったお寺を思い浮かべるでしょう。 興福寺、東大寺、法隆寺がまず脳裏に浮かぶ方が多いのではないでしょうか。 奈良の大寺院は多くが廃仏毀釈によって危機的な状況に置かれつつも何とか生き残ったところが多く、鹿児島県のように大寺院が跡形もなく消え去るなどという事態とは無縁であったと思われる方も多いかもしれません。 しかし、そんな奈良県にあって完全に消え去ってしまった巨大寺院がありました。 大和の日光と称された大伽藍 廃寺、そして消滅へ 大和の日光と称された大伽藍 その寺院とは、石上神宮の南側、現在の天理市杣之内町にかつてあった「内山永久寺」です。 お寺のあった場所は、こちらで、石上神宮の南になります。 三方を山に囲まれているため「内山」