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下層身分から城持ち大名まで駆け上る。松永久秀(2) - 歴史好きの大和徒然草子
皆さんこんにちは。 前回は、松永久秀の出生地候補や、三好長慶の臣下として名を現しはじめたころまでを... 皆さんこんにちは。 前回は、松永久秀の出生地候補や、三好長慶の臣下として名を現しはじめたころまでを紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は長慶の重臣として、京都をめぐる争乱に身を置く久秀の姿を中心にご紹介したいと思います。 将軍義輝との抗争 三好政権の成立と一城の主へ 将軍義輝との抗争 1549(天文18)年、京都から主君であった管領、細川晴元を前将軍、足利義晴とその子で将軍の義輝父子ともども追放した三好長慶。 新たな京の支配者となった三好家は、寺社や公家から各種訴訟や諸事の相談事を受け付ける立場となりました。 そのときの折衝役として、三好一族の重鎮である三好長逸と並んで抜擢されたのが久秀でした。 久秀自身、異例の抜擢とも言えますが、実は同時期に久秀の実弟、松永長頼も長慶により抜擢されています。 長頼は1549年の長慶上洛のときには、一軍を預かって京の防衛を担